長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2004年10月04日(月)

 ……一体誰が此処を見ているのかしらと思いつつ。所詮自己記録と思えば如何でも良いわけではあるのだけれど。


 以前にも此処か何処かで書いたかも知れないけれど、書いていないかも知れないけれど、兎に角私は或る程度日常が戻ってきたことに対して、安堵している。夏休みというのは何処か不自然で、違和感の塊で、非日常でしかない。私にとっての日常は、所詮大学に通う平日のことを差すだけ。日曜日でさえ、非日常的な一部、或いは日常の一番端に位置するもの。
 講座も始まって愈々私は本格的な日常を取り戻す。毎週の課題やら宿題やらも春学期同様に出されるようになった。こうしてまた私は、自分の時間と共に、多くのもを失ってゆく。

 得たものは、小さくないけれど。失ったものの大きさとの比較は出来ない。同じ物差しでは計れないものであるし、情の注ぎ方も異なる。

 ところで再三言ってきた通り、私はゼミの中で孤立しているわけだけれども。……嗚呼、常識を疑うような数々の発言を耳にした。此の人達を「学友」とは絶対に呼びたくない。


 Norah Jonesは好きだけれど南国らしい怠惰さがあるので、今はKEANEを聞く。夏休みはNorah Jonesで充分だったのだけれど。今は、駄目。クラシックならChopinとかRavelとか、静かで詩的な曲が良い。

 ところでそろそろマフラーが恋しい季節。朝晩はとても寒い、辺境北国。










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