一つ、何かを終える度に、何かを成し遂げる度に、溜息を零して。 一つ、何かを始める度に、何かを遣ろうとする度に、予定を組み立ててゆく。 スケジュール帳を見る度に溜息を零して、其のスケジュールを組み立てた自分に苛立つ。所詮、自業自得だ。そう思う。そうして、時間の少なさに更に苛立つ。新たに課題を出される度に、いつまでにどの課題を完成させるのか、と。いつまでの宿題か、いつまでのレポートか、いつまでの調査か。 埋め尽くされるスケジュールに、いつ休むのか、いつ休めるのか、其れさえも入れてしまう。
時計とカレンダーが無いと生きていけない人間だから、私が時間に追われて日常を過ごすのは当然の事かも知れない。時刻がわからないと不安になって、慌てる。全て、開始時刻の十分前には、準備万端で待っていたい。そう思う。
私の腕時計は、常に五分進んでいる。秒針の狂いまで、把握している。今は、「8」即ち40秒を秒針が差すと大体正規の時計(ラヂオとか、テレビとか)は長針を一分進める。 正確な時刻を把握できる時計なら、五分進める意味は無いとも思うのだけれど。つまり正確な時刻をわからないようにして五分進めるのであれば、バスなどの時刻に遅れないという利点を持っているのだけれど。正確な時刻を理解しながら時計を進める、ということが、私にとっては一つの安心材料になっている。其れが在って始めて、遅刻しないような気がしている。
明日のスケジュール。一限、臨床哲学。二限、図書館アルバイト。三限、現代ジャーナリズム論。四限、Internet Research in English。五限、情報検索演習。放課後、家庭教師アルバイト。帰宅後、某氏とオンライン予定。 休む時間なんて、到底無い。
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