長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2004年08月23日(月)

 友人Mと、久々に会う。
 彼女とは、小五、小六、中一、高二、高三、と、同じクラスだった。家が比較的近くということもあってか、付き合いは十年くらいになる。どのくらいの付き合いで「幼馴染」になるのか私は知らないけれど、彼女とは「一寸の縁がずるずる続いた」御蔭で今まで保ってこられた、という感じだと私は思っている。彼女の存在が一寸鬱陶しく思うことも、あったから。

 お昼を食べて、一通りウィンドウショッピングして、喫茶店に入ってのんびりまったり。私が一番心地良いペースで、徘徊する。
 私が今、込み入った話を直接出来るのは、彼女くらいなものかも知れない。と、思う。今現在の話にしても、将来の話にしても。


 北国の秋は早い。夏は直ぐに過ぎ去って、冬の準備期間としての秋が在る。陽が落ちるのが日に日に早くなって、風が冷たくなって、空が高くなって、木々は葉を落とす。だからもう、秋。
 秋は、思索には持って来いだと思う。私が一番好きな季節も、秋。冬も、好き。春と夏も嫌いじゃないけれど、何処か怠惰なところは好きじゃない。
 思索というのは必ずしも身になるものばかりではなくて――少し鬱になることも、屡。

 Mは、物事を弁えている。少なくとも、私からはそう見える。そう見えるようになった、というべきか。以前は、そうでもなかったから。
 今は、彼女は自分と相手の距離を確り把握するようになったし、相手のことを考えてから物事を話すようにもなった。以前はそうじゃなかった。
 そうなると此方は話しやすくなるし、相手が自然に距離を計ってくれるので私自身も気を使いすぎる必要がない。相手がそうじゃないと、私はかなり気を使って距離を計らなければならない。Mの場合は付き合いも長いから、距離云々に関しては最早苦ではないけれど。
 ゆとりが生まれる分、考えさせられる事も多くなる。


 黒のTシャツ着て、茶色のタータンチェックのスカート穿いて、薄いベージュのジャケットを羽織る。濃茶のハイソックスと、黒のスエードっぽい靴。私は、秋色。Mは、パステルブルーのアンサンブルとベージュのミニスカート。素足にサンダル。夏の名残が見えるような服装。というか寧ろ夏色。私が秋で、Mが夏。此の関係は中学高校を通して変わらない。

 Norah Jones を聞いて、夏も終わりだな、と思う。九月になったら、KEANE のCDを買おう。










 <<  道標  >>


一言メッセージフォーム。長文は此方をどうぞ。




片翼 [MAIL] [CLAP!]

My追加