Wakako's Diary 道すがら記

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大人になりたい、なって良かった、と思えること、とは - 2003年05月12日(月)

勤務時間が、4時までになった。同時に、私の「月々貯金もする計画」は潰えたので、家庭教師だとか、夕方からできるバイトか、空き時間に家などでできる仕事を探したいところである。

なんでも、5時までの勤務時間にすると、常勤扱いになって、雇用保険のことなど面倒なことになるという。扶養家族から出る覚悟があれば5時までの勤務も可能だったのだが、一旦扶養家族から出てまた戻る時、親子関係を証明したりと手続きが煩雑なので、私が望まなかったのである。


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昨日の続き。

個人的な印象としては、私が通っていた小学校は過剰に「活発で元気な子」というのを「良い子」のデマゴーグとして流しており、物静かな子、思慮深い子、そういう子の入る隙間がなかった。中学校に入って、初めて、そういう子も(センセイに)認められる、肯定される、クラスの中に居ていい、という感触を得た。だから、小学校時代、休み時間は「友だちと元気に(なるべく外に出るなどして)遊ぶ時間」であり、「机に座って1人で過ごす時間」として認められていなかったのである。ちなみに、小学校一年生に入学した頃の私は、休憩時間もお行儀よく椅子に座っていた。小学校は、幼稚園と違い、そうするものだと思っていたのである。

小学校高学年の時だったか、中学校の時だったか、はたまた高校に入ってからだったか、今は定かではない。親しかった友人が、帰り道に嬉しそうにこういったことを覚えている。
「大阪とかでは、テレビの話とかついていかなくっても、楽しく過ごせるっていとこが言ってた。」
その時の友人の目がキラキラとバラ色に輝いていたこと!
そう、大きな町だと、色々な人がいていい、会話に全てついていかなくていい、それは単に友人のいとこのコミュニケーション能力が高かったということなのかも知れないが、色々な人がいていい、色々なことに興味を持つ人がいていい、それで当たり前だ、そういう世界が素晴らしい世界として感じられたのは確かである(少なくとも、その友人と私にとって、育った地方都市は、どこかしら小さくて息苦しかった)。

もちろん、大きな町だからいいということにはならない。都市の郊外の住宅地などは、同一の世代、収入層が集まることで、横並びの多様性のない地域が生まれがちであり、一昔前までは、そういうところで、子どもの進学や夫の昇進をお隣と比べあう、そんな風潮が揶揄されたものだ。
そして、それは、一面、息苦しい「ムラ」世界かもしれない。いや、しかし、それほど今地域は力を持っていないだろう。。

とはいえ、中学生の時、過剰に趣味に没頭することで逆に排他的閉鎖的である「ヲタク」の世界に違和感を感じた私は、高校生の時、すでに自分なりの個の世界に引きこもっていた(いわゆる、自我の目覚めと言えるかもしれない)。読書。そして、数少ない友人と接すること。それで全て満たされていた。そして、あと少しすれば、私はここから出ていく、楽しい世界が待っている、そう信じていたし、それは描いたほど完璧ではなかったかも知れないが(私はなぜか、入学する前、おばあさんのいる古い家に住んで、本を沢山読んで、そして、心の通じる仲間を見つけよう、作ろう、という願いの現れだったのだと思うが、同級生と友だち的に学生結婚しよう、と夢を持っていた)、6、7割方は満たされた。

何が言いたいのだろう。大人になるほど、少なくとも私は、自由に好きに生きることができてる。そんな風に自己実現し、「大人になりたい」、「大人になって良かった」と思える社会が、おそらく、活力があり、平和な社会であるのだろう。

そして、私が子どもを育てるのなら、少なくとも、子どもには、「大人になったら、大きくなったら、○○をしたい、○○になりたい」と自由に夢を描くことのできる社会を、そして、その子が育った時に、「良かった」ト思える社会を、用意したいし、そして、そのような社会を準備することは、私達大人の義務であろうと思うのである。








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