2002年01月22日(火) |
「私の履歴書」−訴訟は勝っていたか− |
今日の「私の履歴書」で、ヤマト通運の小倉昌男氏が、運輸省が免許申請を放置したので、訴訟を起こしたことを書いていた。 それに対し、運輸省があわてて免許を出したので裁判は幻に終わったが、負けることはないと思っていたそうである。
しかし、「負けることはなかった」というのは、小倉氏の思い込みであり、私は、負ける可能性はあったと思う。 ただ、それでも訴訟を提起した小倉氏は正しかったと考える。
まず、「私の履歴書」で書いていることを補足して紹介すると、
81年に申請した北東北路線の免許が4年も棚ざらしされた。 そこで、85年12月、行政不服審査法に基づく異議申立をしたところ、「慎重に審査しているので申請をいったん取り下げよ」という回答であった(しかし、「申請を取り下げよ」という回答は考えにくい。正確には、異議申立が却下になったのであろう。)。 そこで、用意していた奥の手として、86年8月、東京地裁に「不作為違法確認の訴え」を起こした。 運輸省は勝つ自信がなかったのだろう、その年の12月に免許が出た。
裁判は幻に終わったが負けることはないと思っていた。 というのは、道路運送法には「免許は需給を勘案して付与する」と書いているが、運輸省に輸送需給に関する資料などあるはずないから、「慎重に審査をしている」ことはあり得ないからである。
つまり、「慎重に審査している」というのは言い訳であり、運輸省が何も審査していないことは明らかである。 そこで、このような不作為(何もしないこと)は違法であるという訴訟を提起したのであり、必ず勝つと思っていたというのである。
しかし、この訴訟でヤマト運輸は必ず勝てたのだろうか。 私は次の理由から疑問である。
そもそも、何をして、何をしないかは、本来は行政裁量の問題である。 それゆえ、「何もしなかった」ことが違法であるというのは、裁判所にとって非常に言いづらいのである。
確かに、最近は、薬害事件で行政の不作為が問題なっているが、86年当時は、裁判所は行政の不作為に対する違法確認には極めて消極的であったのである。
また、運輸省には需給に関する資料などあるはずないからといって、慎重な審査をしていないとはいえないだろう。審査の対象は、需給状況だけではないからである。 もちろん、「慎重に審査している」という運輸省の回答が言い訳であることははっきりしている。しかし、もともと、不作為の違法確認に消極的な裁判所が、その言い訳に乗る可能性は高かったと思う。
したがって、訴訟は、必ず勝つとはいえないばかりか、敗訴の可能性もあったと思うのである。
しかし、結論として、訴訟を提起した小倉氏は正しかったと思う。 行政裁量という訳の分からないものに翻弄されるよりも、解決しない場合には、裁判という公開された場で、公正な判断を仰ぐべきであり、小倉氏の対応は、これからのあり方を先取りしていたと思うからである。
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