新しい帽子を買ったら、 それに合うボーダーシャツが欲しくなった。
軽い気分で買いに行った。
しかしそれは間違いだった。 そう、私は、しましまの奥の深さを甘く見ていたのだ。
売り場を巡ると、しましまコーナーはすぐに発見できた。 心地よくしましましている。
何色しましまにしようか。 明確なイメージを持っていなかった自分は、 手当たりしだい青しましまを体に当ててみる。
貧相な顔と体が無駄に強調される。
青はだめだ。ここは渋く黒にしよう。
ドリフの囚人コントになった。
下地が黒というのがいけない。 二色しましまを探す。ターコイズと紫。これなんてどうだ。
…派手だ。
二色が強く出すぎなんだ。 細いしましまはどうだ。遠くから見たら色が溶け合って…
目が回った。
下地と柄の幅が均等なのが良くない。
リズム感のあるしましま、 細いのと太いのが交互に入っているものを着てみる。
柄としてはきれいだが、何かちがう。きれいすぎる。 俺が欲しいのはストリート系しましまだ。 これはカーテン系しましまだ。
なんでうまくいかないんだろうか。 雑誌で見た奴は実にうまく着こなしていたのに。
同じ物を買えば簡単に解決できる問題である。 しかし、Tシャツ一枚に4800円も出せるか。 あれと同じしましまをユニクロで探せば三枚買えるんだ。
似たようなしましまを探すが、どうもしっくりこない。
おい待ってくれよ。 たかがしましまだろう?
しましまの幅が2、3ミリ違ったくらいでなんだ。 ジーパンのポケット位置がそのくらいずれたってわかんないくせに なぜ人間はしましまに関してそんなに精密な認知能力を発揮するのだ。
しましまは人類にとって何か重要な意味を持つのか?
どうだろう。 だいたい、自然界に完全なしましまは存在しておらず、 しまうましましまとか、地層しましまとか、不完全なしましまが…
そうだよ。
あれらしましまは、たいしてしましましてないのに、 「すごい!しましましている!」との賞賛を受けているではないか。 それほど受けてもないか。 でもあんな不完全しましまなのに誰も批判しないし、 しまうまに至ってはしましまうまの称号をもらっている。
きっと原始時代は、しましまに対して寛容であった。 現代のコンピューター社会が、しましまを束縛している。
そう。0か1かの世界は、しましまに通ずるのだ。
だって、 0010100001 これはしましまではない。 0101010101 これはしましましている。 明確に判断できるのだ。
しましま。なんて奥が深いんだ。 これは深く考察する必要がありそうだ。
私は己の物欲を無考えに追い求めていたことを恥じ、 ユニクロを後にした。
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