ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

「PLAYER」YOSHII LOVINSONインタヴュー - 2005年04月04日(月)

『ソロ・シンガーには全然憧れてない。ずっとバンドをやりたい』
「WHITE ROOM」を聴いて感じられた通り、YOSHIIはこのPLAYER誌の
インタヴューでもはっきりと「バンド志向」を答えていた。
「WHITE ROOM」のアルバムレコーディングでは、JUSTIN(b)とVICTOR(ds)、
PAUL(b)、JOSH(ds)、古い付き合いの“ZZ”KANZAWA(MONKEY時ギタークルー)、
そして“EMMARSON”KIKUCHI、彼らがYOSHIIのイメージする音を出し作り上げ、
つい先日決定したというライヴ・メンバーがYOSHIIの
『イメージするおもしろいオトナのバンド』でツアーに臨むのだという。
『なんで(EMMAに)手伝って貰ったんですか?』との質問への答えは
『ANNIEやHEESEYに手伝ってもらおうとすると、彼らのやりたい音楽と
俺が今やりたい音楽はやっぱ違うと思う。』だという。
その事よりも私が最も衝撃を受けたのは、THE YELLOW MONKEYは
どんなロックバンドだったと言えるのか?と聞かれて、
『年齢を重ねてミュージシャンとして成長していこうとした時に
「じゃあ基本的なことはできますか」と問われて
「出来ます!」と断言出来ないこともあった』と答えた箇所だ。
『最後の「8」にプロデューサーを付けた事が象徴している』とYOSHIIは言う。
シングル「バラ色の日々」や「聖なる海とサンシャイン」は、
プロデューサーが付いたいわゆる「チャレンジャーシリーズ」だったけれど、「8」は
セルフプロデュースかと思ってた。
それよりも何よりも「バラ色の日々」から「SHOCK HEART」の頃、
THE YELLOW MONKEYが活動休止を決断するまでの期間というのは、
「基本的な事がどうのこうの」と言うよりは、YOSHIIの
THE YELLOW MONKEYの中での寿命が燃え尽きようとして、
それでも懸命に糸口を探して足掻いていた時期だと思う。
この前のbridgeインタヴューに続いて今回のPlayer誌でも
『最後の「JAM」でミラクルは起こらなかった』とYOSHIIは発言したけれど、
YOSHIIがあの時「奇跡」を願った気持ちがありえないとは言わないけれど、
それは相当無理に違いないと感じて仕舞う。
あの空間での「JAM」の音、会場全体で歌ったあの歌詞、あの熱・・・
『魔法は起こらなかった』けれどあの曲のパワーは本物だった。
だから、もう『もしあの時ミラクルが起きていれば・・・』等と言う発言は、
止めて欲しい。その言葉を聴くのは本当に辛いのだから。
もう良いじゃないですか。
YOSHIIが命を賭けたバンド=THE YELLOW MONKEYを切り離す事は
無理なのだろうけれど、もっと自由に為って欲しい。
「YOSHIIが解散させた張本人だ」とか責めたりしませんよ。
THE YELLOW MONKEYがあったからこそ今のYOSHII LOVINSONがある。
『ミュージシャンとして正しくありたい』という今のYOSHII LOVINSONの
理想とするミュージシャン道を極めて行って欲しい。





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