わたしのDNAは大奥の女 - 2005年01月17日(月) YOSHII LOVINSON公式ページのコラムが更新されたが YOSHIIが昨年末にどっぷり浸かったという“昭和の流行歌”について語っている文章の中で “わたしの城下町”を<わたしのDNAは大奥の女>と評しているのを見て 魂消た。 『<わたしのDNAは大奥の女>というプライドと恥じらいと、 情念がこちらの日本人としてのDNAに襲いかかる。 この初恋の少女は、確実に懐に小刀を持っている。』と書かれているのだ。 この人は、昨年放送されていた『大奥』を観ていたんだろうか? 菅野美穂が演じた薩摩藩から第13代将軍家定の御台所として送り込まれた篤子が 大切に胸元に携えたあの懐剣のエピソードをYOSHIIも観ていたのじゃないだろうか。 『歌詞を引用して説明するのは野暮』と書かれているけれど、 野暮を承知で言わせて貰う。 あの“わたしの城下町”の歌詞に、恥じらいゆれて心が燃えあがってゆく 日本女性の美と艶を感じるYOSHIIに改めて惹き付けられる。 「WHAT's IN?」でHYの新里英之くんとの対談で語っていたが 『今、自然が残っている日本の土地に暮らしながら出てくるものを 曲にしていきたいと考えたりしているんです。』という彼の思いが とても強く伝わって来た。 洋楽への強い憧れとコンプレックスを長年抱え続けて来た彼が、 己の昭和の歌謡曲で培われて来た『日本語の美しさ、品、毒』を操る技を また一層自覚したのだと思う。 昔、吉井和哉は『僕の場合、歌謡曲は血みたいなもの、つまり細胞として体に入ってるから』と言っていた。 どれだけROCKを演ろうとも、彼の中には日本人の血 (それも脈々と流れる古き日本の心)が拍動しているのだろう。 新里くんがHYのメンバーを「家族」と位置づけるのに対して、 YOSHIIがバンドのメンバーを「戦友」と捉えていたという話に、納得させられた。 YOSHIIにとっては、THE YELLOW MONKEYは死と隣り合わせの戦場の絆だったのだろう。 今、THE YELLOW MONKEYというビッグネームの重圧から開放されて、 身軽に開放された気分であろうけれど、彼の抱える孤独は、 もしかしたら活動中も解散後もそれ程変わらないのじゃないかとふと思った。 「孤独」というのは、何か違うな。 例えば「張り詰めた弦」のような、厳しさかな。 上手く表現出来なくてもどかしい。
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