ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

その人は神を見ん - 2005年01月07日(金)

神様に“CALL ME”という事について、自分の場合はどうだろうと考えた時に
思い浮かんだのは、中学校の卒業式で校長先生が卒業証書と一緒に一人一人に
色紙を手渡してくれて、私が頂いたのは
『幸いなるかな心の清き者 その人は神を見ん』という言葉だった事だ。
私はこの言葉をずっと指針として「良心や誠実、寛容さ」という事を大切にしなければ、と
思って来たけれど、この歳になってようやく
『心が清い』とは、そんな生易しい事では無いのじゃないかと考えるように為って来た。
人の心が一遍の曇りもなく清らかでいられる筈が無い。
偽りや穢れに染まり易い罪深い存在であるのが人であるなあ、と思う。
それでも神は『あなたを清い存在だと私は受け入れるよ。あなたを愛しているよ。』と、
そう慈愛を与えて呉れているのだろう。
その愛の大きさを感じ、その恵みに感謝して生きていく姿を
「幸せ」と呼ぶのではないかと思う。
宗教じみた事を言うようだけれど、私は別に特別な宗教を信仰している訳ではない。

けれど、「CALL ME」を聴いて、「後悔しない生き方」と言うものを考える時、
私はあの校長先生に貰った色紙が素晴らしい門出の品だったと改めて思うのだ。
人それぞれの「CALL ME」の受け取り方があるだろう。
YOSHII LOVINSONになってから吉井和哉の作る曲は、
「神」の存在を身近に考えさせられる曲が増えた。
自分の来し方生く末を深く見つめるゆえだろう。
「神」とは、己の持つ絶対的な指針であるのだと私は思う。
THE YELLOW MONKEYの休止、解散という人生の大きな節目を経た彼が
これからの音楽人生を見据える時、彼の行く手を照らすのは、
「神」というべき大いなる光なのだと思う。
確固たる信念や理想・・・、YOSHII LOVINSONは、「神」を見る人だ。






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