2004年02月27日(金) |
蹴球五輪男子亜州予選・プレイバック(バルセロナ/ソウル) |
バルセロナ五輪から、男子サッカーが23歳以下の競技になった。とはいえ、俺が本格的にサッカーを見るようになったのは、Jリーグ開幕以降なわけで、実はほとんど、いや全く記憶にない。 河北新報記事検索サービスで引っかけてみると・・・。
<最終予選>6ヶ国によるセントラル(中立地、マレーシア)でのリーグ戦。上位3チームが五輪本大会出場。
92.1.19 日本 1−2(1−1)中国 原田(早大) 92.1.22 日本 1−1(0−0)クウェート 小村 92.1.25 日本 6−1(3−0)バーレーン 三浦3、名良橋他 92.1.27 日本 0−1(0−0)韓国 *決勝点の金炳秀は元四日市。 92.1.30 日本 0−1(0−0)カタール このときの日本代表:主将が澤登。上記に挙げた選手の他、GK下川、FWに藤吉がいた(平っていたんだっけ?)。
河北新報記事検索サービスは、確か1991年8月?からのサービスなので、一次予選のことは入ってないのだが、コニカ杯に五輪代表が強化の一環として参加していた。
で、ソウル大会の予選になると、ますますわからないのだが、出場権を賭けた最終予選で、国立で中国と対戦し、「勝てば五輪出場」という状況で敗れたこと、そしてその試合がNHK総合で生中継されたことが印象に残ってる。って思ったら、その当時の五輪予選は国際Aマッチだったので、JFAの代表試合記録に残っている。
87.4.8 国立 3−0 インドネシア 手塚、原博実、武田 87.4.12 国立 1−0 シンガポール 松山吉之 87.6.14 シンガ 1−0 シンガポール 水沼 87.6.26 ジャカルタ2−1 インドネシア 松山吉之、原博実
87.9.2 バンコク 0−0 タイ 87.9.15 国立 5−0 ネパール 加藤久、奥寺、松山吉之、松浦、手塚 87.9.18 国立 9−0 ネパール 加藤久、金子、越後、松浦3,原3 87.9.26 国立 1−0 タイ 水沼 87.10.4 広州 1−0 中国 原博実 87.10.26国立 0−2 中国
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