2004年02月26日(木) |
蹴球五輪男子亜州予選・プレイバック(アトランタ) |
仕事の方で、今日が一つのピークだったのだが・・・業者がチョンボったせいで大騒ぎ・・・。こんな弱い会社見たことねーよ!(って総裁かよ!)
***
アトランタ五輪予選を語る前に、掲示板への書き込みから
五輪予選 投稿者:奈良の岡ちゃん 投稿日:2月26日(木)20時37分18秒
断片的にしか覚えていないのですが...
アトランタの時の扱いってほとんどユースの大会のような扱いな感じでした。 万博での親善試合と瑞穂陸での一次予選は薄い(というか折っただけの4ページ物)プログラムが入場時に無料で配布されたぐらいですから。 万博ではあまりの寒い内容に子どもは芝生ゴール裏を走り回るわ(ガラガラだから何の問題も発生しなかった)、応援を仕切っていた集団から「西野さん〜、小倉と城もうダメだよ〜」なんて声があがっておりました。自分はあの試合は前園しか印象に残っておりませんが。
瑞穂は...なんかこれという印象がないなぁ。
シドニーの予選は出場を決めた土曜の国立に行ったのですが、楽勝ムードのせいか場内の雰囲気はゆるかったですなぁ。あの頃から代表戦の「オールスター戦化」は始まっていたように思います。その前後に行った金曜の等々力の「川崎vs鳥栖」や日曜の横浜国際の「横浜vsデンソー」の方が記憶が少し残っています、我ながら困ったもんですが。
***
というわけで、プレイバック。 一次予選は、「初戦のタイ戦で小倉が負傷した」ことしか覚えてないのだが、調べてみたら、日本ラウンドは瑞穂でやってたのね。全然印象にないわけだ(当時は東京都民)。瑞穂での代表戦といえば、(俺は行ってないが)94年のアメリカW杯の「裏番組」、瑞穂、神戸ユニバでのガーナ2連戦(3−2,2−1で連勝)をやったことは覚えているのだが・・・。
岡ちゃんの書いている、「万博での親善試合」という記憶がない。親善試合で覚えているのは、95年の2月に、雪の降る国立で、ロサリオ・セントラル(アルゼンチン)と対戦。観衆1万1千くらい?ロスタイムに森岡(G大阪)のゴールで1−0で勝利。
1996年アトランタ五輪予選
<一次予選>日本・タイ・中国台北の、3ヶ国によるダブルセントラル2回戦総当たりリーグ戦で、1位のみが二次予選へ。
95.5.26スパンブリ日本 5−0(3−0)タイ 森岡、小倉、城、松原2 *小倉隆史、相手に削られ右ひざ内側側副じん帯損傷で全治3週間。 95.5.28スパンブリ日本 4−1(1−0)台湾 前園3,松原 95.6.12 瑞穂陸 日本 6−0(1−0)台湾 松原2,安永、城、前園2 *退場:安永 95.6.14 瑞穂陸 日本 1−0(1−0)タイ 城
緒戦のタイ戦がヤマだと思われていたが、意外にあっさり?勝利。
<二次予選>二次予選進出の8チームを4チーム×2に分けてのリーグ戦。上位2チーム、合計4チームが最終予選に進出。最終予選ともに、マレーシア(中立地)で開催。
96.3.16 日本 1−1(1−0)イラク 城 96.3.18 日本 4−1(2−1)オマーン 前園2、城、中田英 96.3.20 日本 1−0(1−0)UAE 上村 (日本は2勝1分、グループ1位で最終予選へ)
<最終予選>4チームによるトーナメント。上位3チームが本大会へ。 準決勝 96.3.24 日本 2−1(1−0)サウジ 前園2 決勝 96.3.27 日本 1−2(0−0)韓国 城 *試合終了直後、崔龍洙が日本ベンチにボールを蹴りこむ。って、それは92年アジアユース決勝の話か。
95年の11月に、転勤(出向)で実家に戻った。 で、俺がいない間に・・・実家のテレビがBS対応になっていた。で、準決勝・決勝ともに23時JST試合開始で、両親が寝静まった居間のテレビでBSで中継を見た記憶がある。特に、決勝の翌日は休みを取ったし(年休消化の一環で)。
で、この五輪代表チーム。前評判では、小倉のチームだったのが、いつの間にか(一次予選で負傷)前園のチームになったという印象。 小倉は、一次予選で負傷したものの、夏には復帰。名古屋の95年後期準優勝、そして天皇杯初優勝に貢献。しかし、マレーシアで96年2月に行われた、五輪代表紅白戦でまたしても右膝靱帯損傷・・・。 その代わりに台頭してきたのが前園である。しかし、前園の黄金期も長くは続かず、そして中田英の時代へ・・・。
|