山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
日記一覧前の日へ次の日へ


2012年11月13日(火) パソコンのリサイクル

 物置を整理してもらったら古いノートパソコンが二つ、ワープロ専用機が一つ、CRTディスプレイが一つ出てきた。これは処分が大変!各メーカーのHPを検索。今はリサイクル法で適正に回収処分してもらわなければならない。それぞれのメーカーから回収の申し込みをした。古いものだからもちろん有料だ。ノートパソコンが3,150円、CRTが4,200円もする。大きな出費だ。

 申し込む際、各機種の型番やシリアルナンバーを入力しなければならない。CRTなんかS/Nが紙のシールで貼ってあった。ところがあまりに古いものだから半分破れてはげ落ちていた。これを入力しないと受け付けてくれない。やむを得ず電話をしてどうすればよいか確認し、やっと受け付けてもらえた。後日振込用紙が送られてきて支払いを済ませると今度は郵パックの伝票が送られてきて、やっと回収してもらえるのだ。なんとめんどくさいこと。一社だけはクレジットカードで支払いはを済ませることができたので一段階手続きが進んでいる。

 こんなに複雑だと真面目に申し込む人っているのかなあなんて不謹慎なことを思ってしまった。


 勉強し始めた中国の歴史も辛亥革命に差し掛かり、魯迅を読んでみた。岩波新書の「辛亥革命」を入手したが古い上にかなり難しいので躊躇している。

 魯迅は死の直前親交のあった上海内山書店の日本人内山完造氏に「支那4億人の民衆は大きな病気に罹っている。そしてその病原は例の「馬々虎々」(マーマーフーフー)ということだね。あのどうでもよいという不真面目な生活態度であると思う。」と語ったという。
 もう一つの見過ごせない言葉は「没法子(メイファーズ)」(仕方がない)だ。どんなにひどい目にあわされても、ただ「没法子」(仕方がない)としか言えなかった。蹴られても没法子、殴られても没法子、と無抵抗にあきらめきった状態で毎日を過ごしていた。「没法子」はいわゆる「奴隷根性」であり、一種の馬々虎々(いい加減)といえる。では馬々虎々とは「まあまあ」というニュアンスで使われることも多いが本書では専ら「虚偽」「欺瞞」をも含む人間的いい加減さの意としている。

 本書は魯迅の一大伝記である。その中で魯迅が一貫して主張し続けるのが中国人の中に見るいい加減な生き方、馬々虎々であった。
 時は辛亥革命の中にあったが、もともと魯迅は革命を志す者ではないようだった。仙台医専において見せられた幻灯で、日本軍人が中国人の罪人の首を切り落とす場面を周りの中国人は呆けた顔でその処刑を平気で見ている。何の感情もない。どうでも良い。これこそが中国人の根底に存在する馬々虎々だというのだ。この時の出来事がいわゆる「幻灯事件」であった。これを機に魯迅は医学から文学の道へと転向する。
 その後魯迅は「狂人日記」を皮切りに「阿Q正伝」などを発表、中国人の「礼教食人」という欺瞞を成立させたのも馬々虎々という大きな病気だと揶揄している。儒教が忠や孝の美名のもと、人が人の肉を食らうことを礼賛しているというのだ。

 なかなかうまくいかない辛亥革命の真っただ中にあったのだが、軍閥の割拠や革命派の分裂などもあって、何度かの蜂起も失敗していた。そんな中1925年孫文が病没。1936年革命を夢見ながら魯迅永眠、享年55。せめてもの救いは戦闘ではなく病没したことである。喘息の発作であったようだ。棺は「民族魂」と刺繍された白い絹旗で覆われたそうだ。日中戦争が始まる9カ月前のことだ。筆者である片山氏は上海で魯迅から直接薫陶を受けたことがあったそうで、それでこれだけ詳細に避難先や講義内容を書き記すことができたのだろうと思った。

 できれば予備知識として、最低でも「阿Q正伝」「狂人日記」を読んでおきたい。私はこれから読んでみることにする。


 順序からいうと「狂人日記」が先で「阿Q正伝」が後だ。自序を除いて14篇の短篇集である。

 中国社会に蔓延している病根は「馬々虎々」(マーマーフーフー)、一言で言うなら「いい加減」「どうでも良い」といった態度のことだそうだ。魯迅はこれに日本留学中に気が付き、それまでの医学を止め文学に転向し、「馬々虎々」と戦い続けた。

 「狂人日記」は中国の封建社会においては、支配者が儒教を利用して人間の肉をも食らうことさえも礼賛するという「礼教食人」という欺瞞を暴露している。魯迅は支配者たちが儒教を単に人民を支配する道具として利用していたに過ぎないことを小説で明らかにした。

 「阿Q正伝」は魯迅唯一の中篇小説であり、かつ代表作、しかも最高傑作といわれる。ユーモアに満ちた文体で、この作品が成功した原因の一つはこのユーモアによって調子づいた「従容不迫」(しょうようふはく)の文体にあるそうだ。主人公の阿Qはその文体にピッタリのチャランポランないい加減な男であり、この文体でなければ「馬々虎々」の極め付きのような阿Qを表現することができなかっただろうといわれる。
 いい加減な阿Qは気分で革命軍につこうとしたり、でも入れてもらえなかったりで、結局は銃殺刑にされてしまう。それでも村人たちは、銃殺は首切りより面白くないなどと不満をいう。彼らもどうでも良い「馬々虎々」なのだ。

 魯迅はこの短篇集全体を通してこの「馬々虎々」を告発したかったのだ。


yama |MAILHomePage