山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2012年11月01日(木) 父のこと(8)

私は社会人になってからあらためて書道を習ったが、その動機はやはり父にあった。父はとても几帳面で奇麗な文字を書いた。若い頃通信教育で添削を受け習っていたらしい。私はよく父から「おまえは文字が下手だ。」と言われた。
以前はワープロなどない時代、肝心な役場の書きものや看板などは文字のうまい人が書いた。だから父の勤める役場のものは当時ほとんど父が書いていたらしい。だから今でも何か父が書いたものが残っているかもしれない。ただ自宅に作品として残っているものはない。芸術として書をやっていたわけではないようだ。
私は八戸市役所に土木職として入庁し道路建設課に配属されていた。市道の舗装工事がメインの仕事だ。その時は教育委員会からの委託で、公民館の外構舗装工事のため、公民館の常勤職員と打ち合わせをするために数人で出向いた。ちょうどその頃私は書道教室を物色していたが、その公民館では夜型で講座が開かれており、公民館の職員二人も参加しているという。その講座に参加を決めた。ここで私は生涯の筆の師匠二人と出会う。一人はこの公民館講座の講師である佐藤翠洋先生、もう一人はその佐藤先生の師匠である石橋龍翠先生だ。驚いたことに佐藤先生はまだ三十代であった。受講者は近所のおばちゃんやお婆ちゃんばかりだったので、私は佐藤先生に歳が近いこともあってか大歓迎された。そうはいっても書というのは目に見えて上達するようなものではない。やはり基礎からしっかりと体得しなければならないのだと痛感した。もちろんセンスの良い人は上達がはやい。
世の中にはいろんな書道会派がありそれぞれいろんな主張をしている。そんな中で私たちの所属する「大日本書芸院」はオーソドックスな方だと思う。毎月の競書は一つの題材を、楷書、行書、草書、篆書、隷書、かな、細字の7体を半紙に仕上げ提出する。有段者はこれに条幅数体の提出が求められていた。私たちには石橋先生がお手本を書いてくださった。毎年一回昇段級認定考査があり、師範未満は全員受検が求められた。また、毎年行われる東京タイムス展への出品が有段者以上に義務付けられていた。これで良い成績を収めると、昇段のポイントになるようだった。

父はこんな段・級に関係なく、あくまでも実用書道を目指したようだ。誰かに頼まれれば熨斗袋などもその場でサラサラと書いてあげたようだ。その点私は足元にも及ばない。恥ずかしい限りだ。
書というものは練習したからといって目に見えて上手くなるというものではないようだ。何枚も何枚も同じ文字を繰り返し書いていると、集中力も途切れがちになったり、フラストレーションが蓄積したりするものだ。しかしそれを我慢して乗り越えなければならない。そうすれば一皮剥けた自分に出会うことができるらしい。なんともストイックな趣味である。だから展覧会などで賞をいただいた時は感激も一入である。市の美術展で入賞した時、真っ先に父に報告したら、珍しく褒められた。自宅のサイドボードにその時のメダルが飾ってある。


 「モレスキンとは?」最初の3つの章に語られているようだ。
・モレスキンとは、「まだ生み出されていない白紙の未来」である。
・モレスキンとは、「浪漫」である。
・モレスキンとは、「終わりなき好奇心の物語」である。
 これ以降はノートの活用術がカラーの実例を挙げて説明をしている。こんなノートが作れたらさぞ楽しいだろうなと思えるページばかりだ。私もせっかくこれからモレスキンの利用を始めるのだから、後で見返したときに残念な気持ちにならないようなノートづくりをしてみたい。
 ただ残念なのは、モレスキンでなければならないという決定的な理由が見あたらなかったことだ。最近では百円ショップで「ダイスキン」なるものが出回っているとか?噂によると紙質ではダイスキンの方が優るという話もある。
 モレスキンはけっこう高額なだけに、ファッションやブランドにこだわらなければ別に大学ノートで済むことだ。
 でも、私は「星の王子さま」のダイアリが気に入ったので使ってみるけど。


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