山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2012年10月20日(土) 父のこと(6)

 高専に入ってから部活は最終的にバスケットボールをやり、それは社会人になってからも「市民ナイター・バスケットボール・リーグ」にチームを作って参加して続けた。

 学校に入ったばかりの頃は学業と部活とを両立できるのか不安でぶらぶらしていた。それでも寮にいてだらだらしているのは良くないと思い始め、同室の先輩が卓球部のキャプテンをしていたこともあり入部した。ところが練習に行ってみると一年生は一日中球拾いばかりで、最後に後片付けで終わり。毎日それが大会終了まで続くのかと思ったら、大会終了後もあまり変わり映えしない。上級生の中には自分の出身中学校の後輩一年生を指名して練習の相手をさせた。次の日もその一年生。上に中学の先輩がいる一年生は練習ができ、ほかは延々と球拾いだ。こんなのアホくさくて退部した。

 寮でぶらぶらしているうちにギターがうまい連中と知り合った。ロックバンドがやってみたくて軽音楽部に入った。ちょうど進級の時期だった。メンバー5人のうち3人が留年し退学者が出て、バンドは自然消滅した。

 私は幸い2年生に進級した。2年の時に寮の改修工事が入り、市内の学生は自宅通学になった。10月に行われる高専祭の実行委員長と親しくなり、高専祭の成功に向けて夢中になった。そしてそれは大成功に終わった。私は高専祭を機に初めて女の子と付き合い始めた。バイクの免許を取得し通学していたのでバイクでデートもした。しかしその子はすぐに別の男子を好きになったと言って私はあっさりと振られた。私にとってはどれも初めての出来事だったのでショックを受けた。気持ちのやり場をどこに向けたらいいのか分からずにいた。

 そうしているうちにある考えが浮かんだ。何も考えられないように余裕を与えなければいいのではないか。では何をすればいいか。学校内で最もきつい部活に入って身体をいじめればいい。それは何か。当時最もきつい練習をしていると思われたのはバスケットボール部であった。自分がやったことがあるかというと、中学校の球技大会ぐらいのもので、全くの素人だった。自宅に帰ってバスケット部に入部すると報告したが、父も母も何も言わなかった。

 素人で基本から全くできず基礎体力さえないのだから、練習にはついていけなかった。試合でも万年補欠いわゆるベンチウォーマーだったが、部員が少なかったのでラッキーにもベンチ入りだけはできた。だから高学年になっても、得点差が開いた時しか試合には出られず、専ら審判をやった。おかげで審判の眼だけは養われた。社会人になってからはしばらく青森県公認審判員のライセンスを持ち、インターハイなどに駆り出された。

 結局私の父は私のやる部活については一番最初以外口を出さなかった。軽音楽部のときでさえ私がエレキギターを自宅に持ち帰り、父のステレオをアンプ代わりにして音を出しても咎めるどころか面白そうに見ていた。新しもの好きの父には物珍しかったのだろう。


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