山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2012年10月17日(水) 父のこと(5)

 中学生になって部活に何を選ぶかはその後の人生を左右するほど重大であり、しかもそのとき喫緊の課題であった。
 私の自宅の周りに同年代の子どもといえば、隣のうちに同級生が1人、さらに近所に1年だけ年上の2人の女子がいた。男子はというとちょっと離れた国道周辺まで行かなければならなかった。私に最も影響を与えたのは土地の大家さんのお嬢さんで1年先輩のY子さんであった。彼女は鍵盤楽器ができるのが魅力であった。彼女は自分が所属する吹奏楽部を勧めてくれた。
当時彼女の自宅にはアップライトピアノが置いてあった。もともとはお姉さん達のものらしかったが、順に受け継いできたのだろう。周りが女の子ばかりだったので女の子とばかり遊んでいた。だから誘われるままに吹奏楽部への期待を膨らませていた。

やがて部活を選択しなければならない時期になった。私は父に対し何の抵抗もなく先入観も持たずに吹奏楽部に入りたいと告げ許可を得ようとした。ところが、である。父に覆された。
「運動部をやりなさい!体を鍛えねばわがねんだ。」

実は小学校では音楽部(器楽部)と野球部のかけもちであった。夏の大会の時期までが野球部でその後は器楽部だ。小さな学校なのでメンバーを集めるためにやむを得ない。そんなことで吹奏楽部への気持ちの流れはできていたのだが、父の一言で双六でいえば「振り出しに戻る」に来てしまった。では何部にするのか?それも流れから野球部と相場が決まっている。次の日、音楽室の吹奏楽部はあきらめてグラウンドへ向かった。
小学校の野球部では、私はTとバッテリーを組んでキャッチャーをしていた。しかしいかんせん肩が貧弱でなかなか盗塁を刺せなかった。そしてこの日、グラウンドに出てみて私の考えは吹っ飛んだ。「この人たちと何年も一緒にやりたくない。」先輩たちのガラの悪いこと。やはり小学校の野球部で私をいじめた連中が手薬煉引いて待っていたのだ。初日だけ行ってもう次の日から行くのを止めた。正式に入部していないのだから退部もなしだ。

その足で私が以前から慕っていた先輩がキャプテンをしている卓球部へ行ってみた。快く迎えてくれた。こうして中学校の部活が始まった。その後3年間卓球部を続けた。途中キャプテンも引き受けた。

父の一声で運動部に籍を置くことになったが、父が体育会系を勧めたのは意外な気もした。でももともと身体がそれほど丈夫でなかったから、それによって今の自分があるような気もする。


 世界銀行に勤めている友人がいるので、前作「国をつくるという仕事」に続き読んでみた。つい先日八戸市でも西水氏の講演会があったはずだ。テーマは『私たちの国づくりへ・雷龍の国ブータンに学ぶ』であった。本書もかなりのページをブータンに割いている。前ブータン国王から学ぶことが多かったそうだ。リーダーとはどういうものか直接学んだという。
 世界のリーダーたちとリーダー論を交わし、それを別のリーダーや次の世代、さらには民間の企業のリーダーたちにも伝えていく。世界銀行で培った改革のノウハウを別の組織に伝えていこうとする。そんな西水さんの姿勢や行動に驚くし尊敬する。
 本書はある新聞のコラムをまとめたものだそうだが、最後の藤沢久美さんの解説がまとめてくれているように思う。
「そこには経済成長する社会をつくるヒントがたくさんある。それを実現するのは私たち一人ひとりの意識と行動。それは私たち一人ひとりの中に眠るリーダーが目を覚ますことから始まる。」

読んでいくうちに初めて見る言葉に出会った。語彙が増えるのも読書の楽しみの一つだ。
・スーパー・シチズン(超越する市民)
・FOC(Flag of Convenience)便宜置籍国の旗
・不可触賎民(untouchable)(「賎」の字は一般に「賤」のようである)
 《もとインドのカーストで最下層の人々。1949年に違法とされ、今日では公式には
  Scheduled casteという》(ジーニアス英和大辞典より)
・ウィッシュ・リスト(wish list)理由なく欲しい物のリスト
・malapropism (滑稽に誤用された言葉:マラプロップ夫人に由来)
・sensing the future (未来を感知すること)
ただ私にはわからない辞書にも出てこない四文字熟語があった。「一心奮起」、「一心発起」という言葉だ。そして一つのコラムに4回も出てきたのが「一心元気に」という言い回しだ。もしかしたらこれは熟語ではなく「一心」を特別な言葉としてそれぞれ別々の言葉を装飾するように用いているのかもしれない。

 実は西水さんのFacebookをフォローしている。その中でこんなことがあった。日経新聞に「春秋」というコラムがあるが、その中に日経らしくない英語の間違いが2つあるというのだ。私は素人だから全くわからないが、日経の春秋欄では
「NATO」を「ノット・アクション・トーキング・オンリー」と書き
「本社問題」を「ヘッドクオーター・プロブレム」とした。
これのどこがいけないかというと、「ノット・アクション・トーキング・オンリー」は間違いではないが「No Action, Talk Only」が一般的だという。英語は慣れの問題だという。

では「ヘッドクオーター・プロブレム」はどうかというと、「headquarters problem」が正しいそうだ。複数形の「s」が落ちているらしい。春秋がカタカナで表現した英語の言葉を複数形の「s」が落ちているから間違いだと言えるものなのだろうか。私にはピンとこない。「ヘッドクオーターズ・プロブレム」といえば正解で「ヘッドクオーター・プロブレム」は英語の間違いと指摘するような間違いなのだろうか。
 私から見ると重箱の隅をつつくような指摘にみえるが、そんな著者が書いた本書を読んでいて驚いたことがある。ブータンについては何度も詳しく出てくるが、殆ど同じ分文章が3か所にも登場するのだ。約5・6行のブータン国内の地理を紹介する文章だが、全く同じではないものの一つの文にちょっとだけ手を加えて変えただけの文章だ。59ページ9行目から13行目までが、90ページ4行目から8行目までと94ページ14行目から95ページ6行目までが同じ文章の繰り返しだ。
さらにはバージン諸島のコラムがある。105ページからの「お高い電気が幸せを」のコラムと194ページからの「節電ばんざい!」のコラム全体が殆ど同じ文章だ。こういうのは文章としてまた本として問題はないのかだろうか。
気が付かずにこうなったのなら編集者に伺いたい。もし分かってやったのなら確信犯といえないか。前作を読んで西水さんには期待をしていただけにこれにはがっかりした。


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