山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2012年06月25日(月) おなかの調子が悪かった

ここ数日体調不良が続き、日記更新や読書ができなかった。
おなかの調子は悪く、トイレに行ったり戻ったり。
特に下痢をしているわけでもない。

病院のかかりつけ(血液内科)の先生に相談したら、便秘傾向ではないかという。
毎日便通があるからといっても便秘のこともあるそうだ。
そういえば以前似たような症状でレントゲンを撮ったら、やはり便秘気味だという診断だった。
寝てばかりの生活なのでそうなるのだろう。
薬剤(下剤の類)を上手に使わないといけない。

元通りとまではいかないが、やっと普通並みに回復したようだ。
そこでやっと読み終えた本のレビューを書いてみた。

 あまりにも有名な「論語」を古典の時間にちょこっとかじったぐらいで、今まで手をつけなかったため、超有名なフレーズである、
・「温故知新」
・「巧言令色少なし仁」
・「朋あり遠方より来たる、亦た楽しからずや」
ぐらいしか知らない。ちょうどBSで「恕の人−孔子伝」が放送されていることもあって、今回このダイジェスト版ともいうべき本書を手にした。

 ここで一つ認識しておきたいのは、「論語」は孔子の著作ではなく、孔子の弟子たちが孔子の言葉を集めて一冊の本に仕立てたのだということである。著者の貝塚氏は中国古代史の専攻であるからその道のエキスパートである。そのためかこれまでの一般的な解釈と異なる新説も紹介しており好奇心をそそられる。

 もう一つ私のうろ覚えの一節に
「我れ欲せざるところ、これを人に加うることなかれ」
であったが、これに似たフレーズはあるものの言葉が違うし、用法・解釈においても違うものしか見当たらなかった。私はこのうろ覚えの一節のとおりそのままに受け取っていたが、本書では弟子の子貢がこの一節を孔子に語ったところ、実際にできるのかと子貢が孔子にたしなめられたというシチュエーションで出てくるのだ。私が思っている一節と同じものなのだろうか。ぜひ別本で真偽を確認しなければならなくなった。
 入門書的にはこの程度でよいのかもしれないが、なんとなく物足りなかった。


 「白村江」〜私は「はくすきのえ」と記憶している。しかし最近はそのまま音読みして「はくそんこう」と読んだりするようだ。だから「百済」も「くだら」を「ひゃくさい」とやるらしい(ちなみに朝鮮語読みでは「ペクチェ」)。なんか調子が狂う。

 「白村江の戦い」といえば、百済復興のために差し向けた倭国の水軍が、唐・新羅連合軍に大敗を喫したという7世紀に起こった大戦争という認識である。韓国ドラマを引き合いに出して恐縮だが、時はちょうどドラマ「善徳女王」に出てくる金春秋(キム・チュンチュ)(後の武列王)や金?信(キム・ユシン)将軍らが大活躍したあたりの時代である。

 次にこれもドラマ連載中の「階伯(ケベク)」に出てくる百済の階伯将軍らが唐・新羅連合軍に敗れ、百済は滅亡する。そこで百済救済のために倭国が大軍を派遣するも、白村江で連合軍に大敗する。このとき圧倒的物量の差で負けたと言われているが、実は当時倭国は連合軍をしのぐほどの大軍を派遣していたというのだ。

 敗因は幹部である百済の旧王族の間に内部不和が生じ方針が定まらなかったこと、結果全軍の意思統一ができていなかったことなどによるものだという。歴史にイフは禁物だそうだが、もしこのとき百済・倭国連合が勝っていたら、半島に百済が復活し倭国が半島に権益を確保して、今の我が国の地図は違う形になっていたのかもしれない。

 また、百済に向け熟田津を出発する兵士を鼓舞するために額田王が、
「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかないぬ 今は漕ぎ出でな」
と歌ったと万葉集(巻第一)はいっているが、著者は斉明天皇の作歌とするのが妥当だとういう。斉明女帝はこの戦争のために移動していた時だから、それも一理あると思った。なぜ額田王か、この戦争の全権の象徴である斉明天皇の方がふさわしいと私も思うようになった。

 このように、今まで一般常識のように思われていたことも、よく見れば歴史的事実は異なるかもしれないと気付かされる。


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