みなさん「渤海」という国があったということをご存じだろうか。朝鮮半島付近には高句麗、新羅、百済の三国時代があったのは知っていたが、その後ある時期に「渤海」という国があり、しかも日本と盛んに交流をしていたなんて最近まで全く知らなかった。教科書にもほとんど書いていないらしく、知らないのも無理はない。
朝も4時を過ぎるとだんだん明るくなってくる季節になった。薄暮からもう少し明るくなると雉が鳴き出す。まだちょっと下手くそだ。すっかり明るくなって陽が射してくると、今度は鶯の番だ。「ケキョケキョケキョ・・・」と、こちらも当分の間は練習が欠かせないようだ。
先日ひと雨降ったら、さっそくカエルの鳴き声が聞こえ始めた。さすがにまだ大合唱には至らないが、冬眠から目覚めたばかりの声でゲコゲコとやっている。
数日前、孫たちがカエルの卵を探すと言いだしたが、まだ早いということがピンと来ないらしい。ママが子供のころ、我が家の目の前の田んぼでさんざん遊んでおきながら、いったい何を学んだのだろう。情けない。
「渤海国」を知っている日本人がはたしてどれほどいるのだろう。本書にもそんな疑問がいたるところに何度も出てくる。朝鮮半島の三国時代における、高句麗、新羅、百済や、その後の統一新羅、高麗や李氏朝鮮などはよく知っているのに、「渤海」となるとまるで知名度が低い。
何を隠そう実は自分も最近までその存在すら知らなかった。中学の社会の教科書に記述があったかどうかわからないが、習った記憶がない。(上の学校・高専では世界史は習わなかった。)一般に高校の世界史の教科書においても記述はせいぜい数行どまりで詳しく書いているものはないそうだ。
ところが、この渤海と日本とは当時約二百年の間に、実に三十回以上もの使節のやり取りをしており、立派な国際交流をしていたのであった。それなのにどうして忘れられてしまったのか。主に二つの原因があるという。
その一つは、渤海が大陸国家であったにもかかわらず、およそ戦争とか征服とかいうことに縁のない平和な文化国家であったこと。
原因の二つ目は、その跡地にその後千年以上も国家というほどのものが続かなかったことにあるようだ。だから人に歴史地図なしでその国のことを説明することが不可能であり、そのように具体的に捉えることのできない地理的条件が渤海国を認識することを妨げている。
私は今回この本を読んで、目からうろこが落ちるような、ある意味恥ずかしいような思いに駆られた。これほどに友好的に長期にわたり我が国と交流していた「渤海」という国があったということを、我々日本人は認識すべきである。教科書の執筆にも問題がある。ぜひとも正しいことをきちんと書いて子どもたちに教えるべきだ。
もともとは放送大学の講座「北東アジアの歴史と朝鮮半島」を受講して、初めて「渤海国」の存在を知った。それまでは本当に何も知らなかったのである。
最初のページは「大雁塔にのぼってみよう」という文から始まる。西安にある大雁塔には私も登ってみた。一番上の窓からは四角に区切られた整然とした街並みや街路が見え、計画的に作られた街だということが即座にわかる。小雁塔が遠くに見えていた。1984年のことであった。
長安の都市計画の最大の特徴はグリッドプランを取り入れていることである。(後に我が国においても取り入れている。)方格状街割は土地の授受がし易く、統一的に把握することができた。そこに易経や風水の思想を取り入れて各施設を配置したそうだ。
8・9世紀の世界都市は、コンスタンチノープル、バグダード、長安が三大都市だった。コンスタンチノープルが放射状、バグダードは円形なのに対し長安は方形であった。それは長安が「都市は、大地を表象する方形の形態をとることによって、大地にかぶさる円い天の中心と、宇宙軸を通して結ばれる」という中国の都市計画の伝統に基づいていたからだという。
本書の面白いと思ったところは、導入部の第一章でユーラシア大陸の三つの都市(コンスタンチノープル、バグダード、長安)の比較をしている点にある。例えば、いわゆる民族の大移動といわれる現象が、ヨーロッパでのゲルマン人だけでなく、アーリア人の移動、トルコ族の移動、モンゴル族の西への膨張などが挙げられる。また同じ緯度には同じような歴史がやどるそうだ。農耕地帯、牧畜地域、農耕と遊牧が結合した複合地帯などあるが、長安の場合は農業と遊牧の境界線付近に接していることが重要だったという。人々が集まる要素がある、ということなのだろう。
グリッドプランもさることながら、長安の立地場所が、川もあって道もあり民衆が集いやすい交通の結節点だったということが、長安が大都市として成立する大きな要因であったのではないか。