山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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昨日の日記に貼り付けた八戸港を見て、東京の和田さんからイタリアの風景を思い起こす、というコメントをいただいた。どの辺がイタリア風なのか私には分からないが、きっと写真の上下を思い切りカットして掲載したのがそんな雰囲気を出したのかも知れない。改めて外を眺めてみるが、なかなかいい景色だ。まだ八戸を見たことのない和田さんからすれば、大胆にトリミングした八戸港の写真に異国情緒を感じたのかもしれない。 「Ciao, signora!」
朝食後、早い時間に母が娘と一緒にやってくる。父が入院して以来だ。 「しばらぐ」 といいながら、堰を切ったように近況を話し出した。しばらくぶりに顔を見たので安心して、溜まっていたものが出てきたのだろう。ひとしきりしゃべると安心したのか、今度は父の病院へ向かった。
今日からは土日を除く毎日、10時半から放射線の治療だ。ライナック室へ行くと、おばさんが一人治療を受けていた。すぐに私の番だ。台の上に仰向けになり胸をはだけると、昨日つけたマーキングが薄くなっていた。汗に流れたらしい。なにしろ常時コルセットを付けているのだから無理もない。今度は取れにくいインクで再度マーキングをする。放射線照射そのものは一箇所当たり約1分半。すぐに終了した。
昼食前には同級生山本恵子(旧姓:伊東)さんのお母さんが見舞ってくださった。八幡からわざわざバスを乗り継いで来たそうだ。恵子さんは中学に入ってから三戸から転校してきたので、周囲に友達がいなかった。それで近所だった私と遅咲きの幼馴染のようになっている。現在は埼玉県和光市で障害児・者の地域での豊かなくらしをつくる会であるNPO法人ポコ・ア・ポコの代表をしている。昨年八戸市の小規模作業所などを視察にきたときには一緒に施設をまわった。その彼女のお母さんが、「恵子の代理で来ました」なんていいながら、来てくださった。知事選の時に選挙事務をしていなからどうしたんだろうと思っていたそうで、心配してくれて本当にうれしい。
昼食直後には、予定通り下水道事務所の工藤・畠山両氏がやってきた。慶長氏が私に置いていったホームページ作成に関するハウツー本を渡すためだ。二人からは映画のDVDをたくさん借りることができた。これで暇がつぶせるぞ。
同室の患者さんの酸素吸入器が発生する音が、遠くからやってくる焼き芋屋の音にあまりに良く似ていたため、思わず大きな声で「焼き芋屋?」と叫んでしまった。娘は「えっ?」と立ち上がり、窓の外を確認しに行こうとしたが、私がそれを止めた。焼き芋屋であるはずがない。同室の方々には大変失礼した。大きな勘違いであった。
夕方、工事検査課の上山検査員と道路維持課の楢山班長そして栗沢君が立ち寄ってくれた。実は9月1日の日記に「楢山さんの五木節を聞きたい」と書いたものだから、それを読んだ小瀧部長に、五木ひろしを歌うのかといわれたそうだ。でも建設部にいて楢さんの五木節を知らなくてはもぐりと呼ばねばなるまい。皆さんいろいろと励ましてくださった。
夕食後、歯磨きをしにいった洗面所でその事件は起こった。何個かある流し台の右から2番目で歯磨きをしていた。一番右の蛇口は右へまわすとシャワー、左へまわすとカランから水が出るように両方ついたやつで、ここで洗髪などができるようになっているのだが、誰が使ったのか後片付けがされないまま放置されていた。そこへ「じさま」が一人きて、その蛇口を使おうとしてた。どうも慣れていなそうだったので、妻が見かねて 「おじいさん、こっちのほうが使いやすいと思うよ。」 と誘導してやろうと思ったとたん、大丈夫だといいながら、案の定右へひねった。シャワーが噴出した。方向はすっかり私の方を向いていた。だから言わないこっちゃない。妻が止めてあげようとしたとたん、あわてた「じさま」は蛇口をさらに右に回した。勢いよくシャワーが噴出した。車椅子を固定して歯磨きしていたため逃げられず、さらにそれをかばった妻がずぶ濡れになった。
当の「じさま」は悪びれもせず、病院で用意している清拭用の蒸タオルを一本差し出し、詫びもせずに立ち去った。
こういう公共の場で、こんなことをされるとさすがに腹が立つ。たった一言「ごめんなさい」で済むのにね。結局シャワーの始末や濡れた床の掃除までする羽目になった。みんなビョーキなんだから、と妻と着替えをしながら許してあげた。
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