山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2003年08月10日(日) 【写真付】赤門と加賀藩

台風一過、廊下の窓からのぞく病院の建物の隙間の空は真っ青。とてもよい天気になりそうだ。こういう日は気持ちも良く、雨や曇りの日に比べ体調も数段良いような気がする。気がするだけではなく実際に良いに違いない。

日曜ということもあり、病院の駐車場はガラガラだ。朝食後妻と散歩に出てみる。やはり車椅子を歩行器代わりにしたままではあるが、正面玄関から外に出てみる。久しぶりに強い日差しを浴びながら歩いてみた。その駐車場の一角に大きな針葉樹がある。その下は絶好お日陰になっているため駐車場のロットがないにもかかわらず、2台の車が日差しを避けて駐車していた。その脇を通ってほとんど車のない駐車場を一周する。爽やかな朝の散歩であった。

昼食前に八戸高専図書館にお勤めの石川正子さんがその友人で私が書道クラブでご一緒している内城京子さんと見舞ってくださった。石川さんは我々が学生のとき、つまり昭和50年ごろ、土木工学科の事務職員として採用された。そのため我々学生より年下の事務員だったので、学生と職員という関係ではなく、まるで同級生のような付き合いになった。それは四半世紀上経過した今でも続いている。

先週彼女は研修で東京大学の図書館へ行ってきたそうだ。全国から図書館職員が集まる500人規模の研修で、最後に試験やリポート提出があり、なかなか厳しい研修だったらしい。毎年「リポートを送ったけど届いていない」とか、では控えを送れというと「控えは取っていない」などという輩がいるそうで、そういうことのないよう注意されたそうだ。

『赤門もち』と『加賀鳶』
東大といえば赤門。おみやげに「赤門もち」と「加賀鳶」という、東大赤門前の「扇屋」というお菓子屋さんの銘菓を届けてくださった。江戸時代は現在の東京大学のあるところに加賀藩の藩邸があったそうで、「赤門」は文政十年加賀藩主前田斉泰に嫁いだ十一代将軍徳川家斉の息女溶姫のためにたてられた朱塗りの御守殿門である。
また「加賀鳶」というのは鳶職人で編成された加賀藩お抱えの火消し人夫のことをいい、江戸時代の大名火消しの中でも威勢の良さと見事の火消し活動で名高かったそうだ。

お菓子の箱には当時の江戸本郷の地図が入っていた。「加賀宰相殿」という大きな屋敷が見えたり、隣には「水戸殿中屋鋪」などが並んでいる。かつてこういう場所だったということを知って現地を歩くと面白みが増すのではないだろうか。隅っこのほうには「小石川片町」などという表示もあり、この「小石川」というのは大岡越前などに良く出てくる幕府直轄の療養所がこの辺にあったんだろうなということを伺わせる。

夕食前にNPO法人「循環型社会創造ネットワーク」事務局長の音喜田博さんが来てくださる。今日の新聞でも報じられているとおり、昨日新エネルギーフォーラムが同法人の主催で開催された。その裏話も含めていろいろ伺うことができた。音さんも市役所を退職されたことでだいぶ肩の荷が下りたようだ。リラックスしてがんばってほしい。


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