山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2003年07月20日(日) しゃっくりの止め方

昨夜寝る前にしゃっくりが出始め、とりあえず水を飲んでも止まらず、これは運動不足だろうと廊下を歩いてみたり、便所でウンチを出せばなんとか止まるんじゃないかとか、ネットで「世界のしゃっくりの止め方」というサイトを検索してみたりとか、いろいろためしてみたところがダメで、あきらめて横になる。しゃっくりが部屋中にこだまするし、なにしろ衝撃で背中の傷が痛い。やぶれかぶれでスポーツドリンクを一気飲みしてみたら、なんと止まった。やはりこれか。そうっと横になり、テレビでトルコのトプカプ宮殿を鑑賞する。1時間後さすがに水をたくさん飲んだので尿意をもよおし、トイレに立つ。起き上がった瞬間、しゃっくりが再発。くそっ、起きるんじゃなかった。またドリンクを飲んでみるが止まらん。看護婦さんに相談すると、横隔膜のあたりを冷やすと効果があるということで、横になりコルセットを緩め冷やしてもらう。これでもなかなか止まらない。コルセットを緩めているのも忘れて思わず起きかけ、腹筋にかなり力が入った。その瞬間しゃっくりは止まったのである。そうか、コルセットで締め付けているため最近は腹筋に力がなくなりしゃっくりを助長してしまったのかもしれない。今度からこれだ。

昨日今日と個室状態の部屋から窓の外を眺めると八戸港が見える。今朝はガントリークレーンが1機降りている。先日まではいつ見ても立ったままのように見えていたが、今日は稼いでいるなと眺めている。夕方はガスがかかった向こうに2機とも降りているように見える。2機一緒に稼動しているところはまだ見たことがない。そういえば港湾振興の仕事を離れてからはあまり現場に行っていない。

また便秘の話で恐縮ではあるが、さほどに深刻な問題である。
金曜日から本格的な治療が始まったのは既に書いたとおりであるが、この最初の日の薬に便秘傾向をもたらすものがあった。前日快便を通り越して下痢気味になっていた私はこの日だけは下剤を中断したのだった。ところが下剤の効果は前日の分で切れてしまっていたらしく、金曜からの分には新たに下剤の投与が必要だったらしい。木曜に出してから今日で3日目を向かえることになった。午前の点滴が終わる頃に便意を促すレシカルボンという坐薬をもらう。昼食直前になって効きだす。トイレに走る。また栓になっているらしい。痛い。最初のところが出るとあとは何とかなった。ほっとした。また繰り返さないよう管理をしなければ。

昼食後歩く練習をする。最近だいぶ普通に歩けるようになってきた気がする。もちろんちょっとした弾みでガクッときそうだから、かなり注意しながら、病棟の廊下を周回する。

歩いてトイレに行ってみた。部屋へ戻ってきたところに母が娘とやってきた。歩いている姿を見て大喜びの様子だった。私もそれに気を良くして、今日は同居人のいない窓際へ母を連れて行き、窓外に見える八戸港をひとしきり解説してみせる。「そこ魚市場、こっちはちくわやさん、向こうは三菱製紙方面、あれがガントリークレーン、そっちはセメント」ちょっと得意にしてみた。

母が妻と帰るのと行き違いに、畑中京子・捷郎夫妻が見舞ってくださる。京子さんには母が給食センター勤務時代に大変お世話をいただいた。ご主人にはお祭りでお世話になっている。昨日の建設部長メール事件のいきさつを教えてくださった。部長が大きなファイルを添付しようとしたのがまずかったらしい。私の元気そうな顔を見て安心してくださった。昨日の今日でありながらわざわざおいでいただき本当にうれしい。
そして「塩うに」を持ってきてくれた。これはありがたい。梅は妻が持ってきてくれたが、「塩うに」までは気がつかなかった。今日の夕食はうまがった。


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