山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2003年07月18日(金) 治療開始とカキ氷

夕べから薬が出始めた。
今朝は食後に一つの袋に同じ種類の白い錠剤が4個、もう一つの袋に別の薬が二種類二個と一個、計7個の錠剤を飲んだ。

10時に「骨シンチ」のための注射にRI室に呼ばれる。骨の写りをよくするための造影剤のようなものらしい。病室に戻るといよいよ点滴が始まる。

午後1時、「骨シンチ」検査に呼ばれる。寝たままコルセットをはずすという。どうやってはずすのだろうと思っていたら、二人がかりで腰を浮かせて尻のほうからスルリと引き抜いた。私は横にはずす方法しか考えなかったので、割とすんなり抜ける方法にびっくり。さすが現場の人たちはいろいろ経験しているのだろう。

30分間動かないこと。カメラが顔面すれすれの高さを通過する。目を開けているとすごい圧迫感だ。次には胸に当たるところまでカメラを下げられる。これは実際に胸に圧力がかかる。トータル30分間我慢して検査終了。

今度は寝たままコルセットを着ける番だ。とりあえず病衣のまま、その上からコルセットを仮に締めることにする。はずすときとは逆に尻のほうから無理やり滑り込ませ締める。これで起き上がることができた。カメラの縁につかまって立ち上がり、コルセットをつけ直した。

労災病院へ来てからの検査では第一関門といったところだったが、さほど痛みを感じずにうまくいったと思う。

部屋に戻ると例の高島礼子似の女医さんが来て
「どうですか。具合は悪くないですか。痛みはありませんか。」
私は今のところ体調に変化はなく、何事もないことを告げると、ニコニコして戻っていった。

14時過ぎに点滴の途中で入れる注射液と氷とを看護婦が持ってきた。
「この注射をすると口の中が火照ったり乾いたりして荒れることがあるので、氷を口の中に入れて冷やすと効果的です。適当になめて、融けたら「ぺっ」と吐き出していいですから。」
と言って、点滴のチューブの途中に連結して注射液を注入していった。
最後の3本目の点滴が終了する頃になっても口の中は変化がない。点滴をはずしに来た看護婦に聞いたら、口の中が荒れてからでは手遅れなので、とにかく氷を口に含んで冷やせとことだ。アイスでも良い。娘を売店にやる。
「アイス買ってきて。」
買ってきたのはペロペロなめるタイプではなく「みぞれイチゴ」というカキ氷タイプのカップ入りだ。

以前災害復旧を担当していた頃、直営で現場の仮復旧をしたことがある。大雨で路肩が崩れた市道や水位が上がり深く河動がえぐられた小河川の復旧に、新井田川の水防倉庫(長館橋の袂、左岸側にあった。現在は市民病院近くの防災コミュニティセンターに集約された。)に保管してある松杭(長さ2.2m)や土嚢をトラックに積んで出かけた。自分より背の高い杭をカケヤで叩くのは、なれない我々にとって大変な作業だった。土嚢づくりや運搬もしんどかった。

そんなとき、よく休憩時に食べた赤いカップだ。当時それを我々は「ガリガリン」と呼んでいた。アミダくじをつくり200円から100円、50円、そして0円、買出し、などの当たりを書き込みアミダをする。なぜか私がいつも高額当選をするのだった。しかも冷たいのが苦手で、すぐ頭が痛くなるため食べるのが遅く、自分が半分しか食ってないのにもう既に2個目を平らげている人もいるのが常だった。

いま、そのガリガリンを目の前にして食べたくないと思いながらも、必死に口に含む。頭が痛くならないように少しずつ。しかも一口と次の一口の間隔はすいぶんと間が空く。半分食べないうちにかなり融けてしまった。

この「カキ氷」を平気でどんどん食べられる人がいるが、私には信じられない光景である。こんな病気をして、アイスを食わせられるとは思わなかった。でもこれで口内が荒れずに済んで欲しい。

午後4時半過ぎにいとこの佐々木和雄さんが来てくれる。病院の転院の時にこちらから連絡しようと電話したのだが何度しても話中だった。相手には着信があったらしい。和雄さんは私からだろうと察しをつけ市民病院に電話したら既に転院したあとだったそうだ。引っ越すときは手伝うからと言ってくれていたので、とても気にしていた。

ところでこのサイトを開設して良かったと思えることは、いろんな闘病生活の経験者から投稿やメールでの経験談やアドバイスがもらえることだ。それにしてもこんなに身近に同じような経験をしている人たちがいたものだ。あんまりえらそうに闘病日記など公開している場合ではなという気もする。しかし、これを続けることが今のところ今の闘病生活の重要な支えとなっており、今しばらく勝手なことを書かせておいてもらいたい。


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