山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2003年07月16日(水) 骨髄穿刺(こつずいせんし)という検査

早速昨日からいろいろな検査が始まっているが、今日は午前4時から4時間分の尿を蓄積して調べる「全尿検査」がスタートした。午前4時に看護師にたたき起こされ、この時点で尿を全部出す。そして次回からの分を専用の容器にためていく。明日の朝午前4時まで続ける。

朝になってみると、新しい病院で緊張したのか、早くも問題が二つ発生した。

一つ目。明け方に腰痛が起きた。体の向きを変えようとしたら「ギク!」看護師に痛み止めか何かが必要かと訊かれ、思わず「様子を見ます」と答えてしまった、遠慮深い(?)ワタシ。

二つ目。便意をもよおしトイレに行くも、腰の痛さもあってあまりがんばれず、そこまで来ていそうなのに出ない。あきらめて部屋に戻ったとたんにお腹が痛くなる。トイレに引き返す。さっきと同様、出そうで出ない。額には脂汗がにじむ。トイレの洗浄機能を利用して刺激を与える。「ダメか。」あきらめかけたところへ大きなうねりが寄せてくる。「今だ!」最初の固い栓になっている部分が抜けると、後は一気呵成だ。連続的に大量に排出した。これまでは全部固いのばかりで苦労していたが、今回の後半部分は、毎晩服用している便を柔らかくする薬の効果が出て、スムーズに出ることができた。入院して以来痛み止めを処方されてからは固いモノが続いていただけに感激もひとしおで、本当に久しぶりの「快感」であった。

10時半過ぎに新井田の伯父夫婦が見舞ってくれる。面会時間ではないと言われたが、ナースステーションでは咎められなかったと言って、部屋までやってきた。伯父たちが部屋に入るなり同室の住人たちには一斉にカーテンを引かれた。何もしゃべらないうちから「うるさい」と言われたようなものだ。反対側のデイルームで歓談する。伯父も労災病院には静脈瘤で入院したことがあり、その話を聞くが、前回来た時と同じ話になってきた。まあ、何回聞いてもいか。

そこに娘が私の両親を連れてきた。父は新井田の伯父の弟だ。父も昭和40年ごろ脳卒中に倒れた時、市民病院でしばらく療養した後、労災病院に転院、リハビリなどをしたことがる。私は小学校4年生だった。放課後、バスに乗り父の見舞いに通ったものだ。市民病院までは八幡からバス1本だが、労災病院に移ってからは三日町で「鮫行き(山手回り)」に乗り換えなければならない。乗り物に慣れていない私は何度もバスに酔い、途中下車したものだ。病院まで行けずに引き返したことも何度かあった。また、白銀まで行っても、途中の白銀小学校付近にバスが差し掛かると、八幡に住んでいると嗅いだこともない水産加工場の悪臭に、体中が侵される気分になるのだった。
ある日の病院からの帰り道、乗った南部バスが八幡のバス停に近づいたころ、確かに20円を入れておいたはずのアノラックのポケットに10円しか入っていないのだ。擦り切れたアノラックのポケットの穴から10円落としたらしい。慌てたが本当にそれしか持っていなかった。バス停に着き、車掌に事情を話すと、
「今日は10円でいいから、今度乗ったときに残りを一緒に払って。」
と言って降ろしてくれた。本当にうれしかった。大人と言うのはやさしいものだとこの時思った。子供心に、無賃乗車でバス会社まで連れて行かれいろいろ調べられたりするのかと本当に心配した。
その当時の労災病院からはまったく違う建物になっているらしい。しばらく話をした後、今度は娘に付き添いを代わってもらい、妻が両親を連れて帰った。

午後2時に予定通り「骨髄穿刺」の検査があった。看護婦たちがあらかじめ準備を整えたところに例の女医さんがやってきた。
「骨の表面に麻酔をします。ちょっと痛いです。」
ぶすっと注射器の針を胸に刺す。やはり痛いが、徐々に痛みは薄れていく。
「まだ痛いですか。」
もう痛みはなくなったと答えるころには麻酔終了。
「では骨に針を刺します。ちょっと押されますよ。」
グリッ、グリッ、という音がして旨の骨に針がめり込んでいく感触がわかる。
「はい、髄液を吸い取ります。痛いですよ。」
注射器を接続して吸い込む。胸全体が吸い込まれるようだ。
「うううっ!」
思わず声を上げてしまう。
「痛いですね。この吸われるときが一番痛いんですよ。もう一回やります。」
「ええっ?」
またやるの?2回目のほうが痛かった。終了後1時間の安静が必要ということで、ベッドに仰向けのままおとなしくしている。

検査終了後すぐに下水道建設課当時の課長升沢正平道路維持課長と関川下水道業務課長が見舞ってくださった。なんと今日市民病院へ行ったそうだ。昨日転院したときいてあわててこちらへ来たとのこと。ご心配いただき本当に感謝である。今週は下水道に会計検査が入ったというのでその状況を教えてくださった。

入れ替わりのように下水道建設課の松川茂則氏と山下尚良氏がきてくれた。やはりもっぱら話題は会計検査である。補助事業担当者にとっては最大の関心事になっているし、労力もかけている。でも会計検査のための仕事にならないようにしないといけないよな。

4時過ぎ、長谷川先生が来る。
「どうですか。大丈夫ですか。痛くないですか。」
そのとき既に起き上がってパソコンを叩いていた私は、具合が悪いわけでもなく、そう伝えた。
「腎機能をみて、その上で薬をどの程度使えるのか見ますからね。」
そろそろ明日あたりから本格的な治療が始まるのかな。


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