山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2003年07月14日(月) 市民病院最後の夜

そろそろ今日当たり抜糸か、といろいろ看護師たちからきいてみるが、先生にきいてみないとわからない、ということだ。午前中はいつものとおり薬を飲んで点滴を受ける。

午後からは、消防団の栄田正勝舘分団長が見舞ってくださる。消防団では大変にお世話になっている人だ。しかも私を部下として信頼して下さっているので、早く退院して早く活動に復帰して欲しいと熱望された。たいへんうれしいが、退院しても消防のほうは少しゆるりとやりたいものだ。

その後、八戸高専バスケとボール部顧問の鳴海寛教授と中村嘉孝助教授が見舞ってくださった。4月に女子チームのコーチ就任を断っていたため、どうも変だとは思っていたそうだ。
今年は東北大会準優勝でも地区から2チームが枠があり、全国大会への切符を手に入れたそうだ。今年は鹿児島なのだが、電車賃の分しか旅費が出ないため、東京からの飛行機代をOB会に再カンパをお願いしているところだ。全国大会でも力を発揮していい成績を残して欲しいものだ。

先生方と話をしてる最中に婦長さんがきて、「明日10時までに労災病院へ移ってください」といってきた。別に何も困ることはないが、抜糸などはどうするんだろ?夕方にでも先生が来て何とかしてくれるかもしれない。

夕方バスケ部OBの北川さんが来てくれた。北川さんは話し好きで話題も豊富だから飽きさせない。先日同じOBの上田さんと飲んだそうだ。上田さんは脳卒中の後遺症があるので酒をこんなに飲んでもいいのかと心配していた。

午後5時過ぎに防災訓練の打ち合わせが行われていた。この整形外科のフロアが対象らしい。病院管理課の畑崎さんや田名部さんらが看護師たちと大騒ぎをしていた。そこへ私がちょっとだけ割り込んでみると、二人とも「なんでここにいるの?」と驚いていたが、あまり詳しく説明していると打ち合わせの邪魔になるので、話もそこそこに引き返してきた。

夕食前に成田先生がみえた。
「明日来いって?」「抜糸できるかな?」
数分後、看護師二人を連れて戻ってくると、私を立たせ、コルセットをはずすと、手際よくプチプチと何かを取り去っていった。(何しろ背中なものだから私からは何をしているのか見えない。)
「明日もう一度傷を確認しますから、その後で行ってください。」
「向こうを退院したら、月曜か金曜に外来に来てくださいね。」

変なもので早く出所したいと思っていた病院も、いざ出るとなると少しは名残惜しい気もする。特に看護師たちの写真を撮っていないのが本当に心残りである。今夜は市民病院最後の夜を楽しみたい。

夕食も済んで午後の面会時間が終了した7時過ぎ、ナースセンターから
「山村さん、ご面会の方がお見えですよ。」
同級生で消防団もやっている寺沢和則夫妻が見舞ってくれた。先月父親の和一さんが亡くなったばかりなのにもかかわらず、、わざわざこうして来てくださり、申し訳ない。彼自身も34歳のときに脳血管疾患で4ヶ月もの入院生活をしており、体験談を話しながら「絶対に直るから」と励ましてくれた。

実は今日もウンチがなかなか出ない。二日目だ。明日には労災病院へ転院するのだから今日のうちに出しておきたい。看護師にお願いして坐薬のお世話になる。


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