たった今観たTVに感動し、考えさせられて、久しぶりにパソコンに向かっています。 ある家族のドキュメンタリー。 双子の女の子が4才の誕生日を迎えるまでの記録。妹はすくすくと育っているのだが、お姉ちゃんは「滑脳症」という難病を持つ。 余命2年、と生まれた直後に宣言されたにもかかわらず、揃って4歳の誕生日を迎える事が出来た二人。 両親は、まだ若い。29才だ。双子を授かったのはまだ彼らが25の頃。今の私よりも、若い。 二人の子供を、分け隔てなく、愛情を込めて育てているその姿は、とてもじゃないが同世代とは思えないほど、なんていうか「豊か」で尊敬の念を抱かざるを得ない。難病に負けず、涙よりも笑顔で、日々命と向き合う若い夫婦。 「この両親なら大丈夫、と思ったから、産まれてきたのかもしれない」というような主旨のナレーションがあったが、確かにそう思った。 福祉関係の仕事をしていたご夫婦。きっと、双子が産まれる前から「命」というものに真摯に向き合い、誠実な生き方をされていたのだろうと想像がつく。自分達の子供の一人が難病で余命少ないことを知ったときに、彼らは「泣くのは、二人きりのときだけにしよう」と誓ったそうだ。そんな前向きな気持ちになれる強さ、たくましさ、お互いへの愛情と優しさ。 「生きる」という事の美しさを知っている人間にしか言えない言葉だと思う。 すごいな。 家庭、というものを持つということ。 それを、キラキラした笑顔とともに、保っていく事。 難病の子が居ても居なくても、きっと、大変なことに違いない。大変だけど、守りたいと思う、その気持ち。美しいと思う。
私のように、自分の事で精一杯な人間には、まだまだとても無理だなー。 ああいう生き方をされている人を知ると、なんだか、自分の悩みとか考えている事とかが、ものすごくチッポケに思える。
最近、思うんだよな。 人間って、名誉とか実績とか結果とか、追い求めてしまうけど、本当はそんなの、要らないんだよねぇ。 「結果に出ないと意味がない」、そう言える人はそれだけ努力しているんだから確かにすごく立派だけど、まあ、言ってしまえば、言葉は悪いけど、全て死ぬまでの暇つぶしなんですよ(ひ〜、頑張っている方、ホントごめんなさい)。だったら、上に立つ事や向上する事に力を注ぐのもいいけれど、もっとゆっくり、周りの小さな幸せや暖かさを感じながら歩いてもいいのではないかと・・。そういう時期も、あっていいんだろう、と。 こんな思考になる私は、そろそろ「若いね、頑張ってるね、青春ね」なんて言われる年代から追い出されつつあるのかもしれません・・。
しばらく日記を書いてなかったここ最近、いろいろありました。 金曜には地元のピアノの先生に、久しぶりにレッスンしてもらい、日本とドイツでの弾き方、音の響かせ方の違い(気候やピアノの作りなどによって、テクニック的にも変えて弾かなければならない・・のかな)を再発見して、いろいろ研究してみたり。 その夜には、去年の年末に共演させていただいた合唱団の練習に参加して、改めて合唱団運営の難しさと楽しさを再確認したり。 日曜には、中学校時代の友人ら5人と飲みまくりました。本当に、いろんな生き方があるのね、と、ここでもしみじみ。
そうこうしているうちに、もうすぐドイツ行きですわ。 ちょっとの期間だったけど、日本に帰ってきて良かった。
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