|
|
2012年08月22日(水) ■ |
|
努力は、見えるところで、できるだけハデにやったほうがいい。 |
|
『考えずに、頭を使う』(桜庭和志著・PHP新書)より。
【ところで、これまで逃げていった新弟子たちは、みんな人の目の届かないところで練習したがった。柱の陰とか、みんなの後ろのほうに隠れて、とか。努力は見えないところでするものだ、という言い方もあるかもしれませんが、それがどういう見え方をするのか、逆の立場になってみればわかります。 人の目の届かないところでやっているのには、見られたくない理由があるのです。つまり、数をごまかしている可能性がある……。見ている側にしてみれば、そう思うのも無理はありません。 それは、とてももったいないこと。せっかく必死になってやっているのに、あらぬ疑いをかけられたら損以外の何物でもない。 だったら、多少はバテている姿をさらすことになったとしても、見えるところでできるだけハデにやったほうがいい。頭を使うとは、こういうことだと僕は思います。】
〜〜〜〜〜〜〜
『IQレスラー』などと呼ばれることもある桜庭和志選手。 この新書を読んでいると、その合理的な考え方に「なるほどなあ」と唸らされるところがたくさんありました。 この文章は、そのなかのひとつです。
「努力は人に見せるものじゃない」っていうのは、日本人の美学、みたいな感じで、けっこう認知されていると思います。 僕も「努力は陰でするものだし、そのほうがカッコイイ」と信じてきました。
でも、長年レスリングや格闘技の世界で生きてきて、先輩に指導されたり、後輩を指導したりしてきた桜庭さんは、「指導する側にとっては、見えない努力は誤解を招くことが多い」と、あえて苦言を呈しているのです。 体育の時間に、なるべく人目につかないように準備運動をしていた運動オンチの僕にとっては、「ああ、そんなふうに見られているんだなあ、やっぱり……」という感じでもあります。 実際、人目につかないところだと、どうしてもサボりがちになりやすいですしね。 「見えるところでできるだけハデにやったほうがいい」 そうやって全体練習をこなして、必要性があるのであれば、それこそ個人練習をあとで追加すればいいだけのことですし、指導者に対して「こいつはちゃんと練習している」と思わせておいて損なことはないはずです。 あんまりアピールしすぎると、仲間には嫌われそうですが。
そもそも、「○○選手は陰でこんなに練習していた!」なんていうのが美談として伝えられている時点で、それはもう「陰の努力」じゃないんですよね。 そういう人たちは、「陰で努力している」というセルフプロデュースをやっているだけです。 どこかで誰かが見ているか、自分で話すかしないと、「陰の努力」のことは、誰も知らないはずなのだから。
「努力をアピールすること」は、けっして悪いことじゃない。 少なくとも、誤解を避けるために、必要な技術ではあるのです。
|
|