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2011年12月15日(木) ■ |
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最初は評判があまり良くなかった『ドラゴンクエスト』の曲 |
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「『WiLL』12月号増刊・すぎやまこういちワンダーランド」の、すぎやまこういち、中村光一両氏の対談記事より。
(『ドラゴンクエスト(1)』の音楽について)
【すぎやまこういち:そして無事、ドラクエの音楽の仕事がスタートしました。最初に打ち合わせした時、音楽はすでにできていたんですよね。
中村光一:すでに、ゲームとしてはほぼ出来上がっていて、曲も仮のものが入っていたと思うんですが、先生にお願いできることになったので、どういう場面があって、どういうストーリーなのかをお話させていただきました。すでに締切直前で、8曲近くを1週間で作っていただくことになってしまった。さすがに1週間じゃ無理だろうと思っていたら、きっちりあげてくださって。当時は容量が少なかったので、和音もオタマジャクシ(音符)も少なめでお願いしますという制約まであったのに、です。
すぎやま:2トラックでね(笑)。その時、ゲームについていた音楽を一応、聴かせてもらったんですが、「これはヘボいわ」と(笑)。製作期間が1週間でも引き受けたのは、それまでに2000曲近く作っていたCM音楽では、「締め切りは明日の朝」なんていうこともしょっちゅうありましたから。1週間あれば何とかなるだろうと思いましたよ。 でも、フィールド曲の「広野を行く」は最初、中村さんの評価はあまり良くなかったんですよね。
中村:私のイメージとしては、勇ましく、いかにも「冒険に行くぞ!」という感じの曲がいいなと思っていたのですが、先生が書いてくださった曲は、どこか寂しくて、不安感があるという印象だったんです。ところが、ゲームと合わせて実際に曲を流しながら動かしてみたら、スタッフには結構好評で、みんな口ずさむようになっていました。
すぎやま:はじめての、たった一人での冒険だから、不安や寂しさに照準を合わせたんだよね。勇ましさや意気込みというイメージに一番近いのは、『3』の「冒険の旅」ではないかと思います。】
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『ドラゴンクエスト』の作曲の依頼を受けたときのすぎやま先生は、もう50代半ば。 ポップスの作曲家としては、「転機」にさしかかり、仕事も減ってきた時期だったそうです。
もともとゲームが大好きで、エニックスに送ったアンケートはがきがきっかけで、ゲーム音楽の仕事をするようになったすぎやま先生なのですが、僕も『ドラゴンクエスト』の音楽を最初に聴いたときには「何か違うな」と思いました。 なんというか、音楽にドラマ性があったんですよね。 映画みたいなエンディングを見て、あまりに感動して、アンケートはがきをエニックスに送ったことを覚えています。
「広野を行く」は、『ドラゴンクエスト』で、勇者が町を出たときに流れてくる「ひゃーらーらー ひゃららーらららららーらー」というBGMなのですが、たしかに、ゲーム音楽としては、かなり淋しいというか、不安を煽るような曲でした。 実際、RPGというジャンルにほとんど接したことがなかった当時の僕は(そしておそらく、多くのファミコンユーザーも)、本当に「不安」だったんですよね、これがどんなゲームなんだかわからなかったし。 そこで、元気が出るような曲ではなくて、プレイヤーの不安に寄り添うような曲を使うというのが、すぎやま先生の真骨頂。 「ゲームを知っているサウンドクリエイター」ならではの英断だったのです。 僕もいまだに「ドラゴンクエストシリーズのフィールド曲」といえば、まず、「広野を行く」を思い出します。
すぎやま先生が『ドラゴンクエスト』を作曲された時代、他の有名な作曲家たちのなかにも、ゲーム音楽作曲の打診を受けた人はたくさんいたそうです。 でも、彼らの多くは、「ファミコンの3音くらいの貧弱な音源では、私の曲は表現しきれない」ということで、依頼を断ったのだとか。
ところが、すぎやま先生は、そんなハンデなど問題にしていなかったようです。
2006年に他の雑誌の記事で『ファイナルファンタジー』シリーズの植松さんの「3音だけってのは、やりにくいですよね」という問いに、「音楽なんて2音で充分。ドラクエは2音で作ってるよ。残りの1音は効果音に使ってる」と答えておられたのがすごく印象的でした。
今みたいに「普通の音楽」をそのまま使える時代というのは、昔からするとすごい「進化」なのだけれども、「PSG3音で、こんな曲ができるんだ!」というような驚きがなくなってしまって、ちょっと淋しいような気もしますね。
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