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2010年07月17日(土) ■ |
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「一緒に宇宙に行こうよー!」と励ましてくれた「ある女性応募者」 |
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『ドキュメント宇宙飛行士選抜試験』(大鐘良一,小原健右共著・光文社新書)より。
(2009年の3月に「NHKスペシャル」で放送された番組を書籍化した新書。宇宙飛行士を目指して挑戦しつづけている福山浩さん(54歳)の回想)
【福山の挑戦は、四半世紀以上も前にさかのぼる。1985年、日本で初めて行われた宇宙飛行士の選抜試験に応募したのが最初の挑戦だった。それ以来、行われてきた選抜試験すべてに欠かさず応募してきた強者だ。 福山の少年時代には、アポロ11号の月面着陸があった。アームストロング船長が、人類で初めて月面に降り立つ姿をテレビで見て以来、いつか自分も、宇宙から青く輝く地球を眺めてみたいと夢見るようになった。 しかし現実は厳しかった。当時、宇宙に行けるのはアメリカ人とロシア人だけだった。 「日本人は当分、宇宙に行けそうにない」。学生時代の福山は、夢を胸の奥底にしまいこんで、技術者の道を選んだ。 宇宙への夢が、遠い過去のものになりかけていた、28歳のとき。福山は「日本人宇宙飛行士、はじめて募集!」のニュースを見た。 福山はそのとき、全身が震えるほどの大きな衝撃を受けたという。 「日本人も宇宙に行ける時代が来た。挑戦しない手はない!」 そして最初に挑んだ選抜試験。しかし結果は不合格。第2次選抜まで残ることはできたが、最終選抜まで進むことはできなかった。 福山の代わりに選ばれたのが、北海道大学の助教授、毛利衛さん、慶應義塾大学の医師、向井千秋さん(旧姓 内藤千秋)、それに宇宙科学の研究者、土井隆雄さんの3人だった。 この選抜試験で、福山にとって忘れられない出来事があった。それは、第2次選抜の面接試験が終わった日の、帰り道のこと。福山は、同じく面接試験を受けた、一人の女性応募者と一緒に駅に向かって歩いていた。 試験が思うようにいかなかった福山は、弱気になっていた。そしてこの女性に、思わず「もしかしたらダメかもしれない」と打ち明けてしまった。夢にまで見つづけてきたチャンスなのに力を出し切れなかったと落ち込む福山に、女性は満面の笑顔で明るく言った。 「そんなことは絶対にないよー! 一緒に宇宙に行こうよー!」 その女性こそ、日本人女性として初めて宇宙飛行士に選ばれた、向井千秋さんだった。 向井さんも、福山と変わらぬ立場にあった。面接はもちろん、2次選抜の結果が気になっていたはずだ。それなのに、競争相手である自分を気遣い、励ます余裕を見せた。 そんな前向きな向井さんを見て、福山は「ああ、こういう人が宇宙に行くのだろうか」と感じたという。そして「宇宙に一緒に行こうよー!」という向井さんの言葉が、忘れられなくなった。試験に落ちたあとも、宇宙飛行士の夢をあきらめずに追い続ける、原動力の一つになっていた。 「1回目で、宇宙飛行士という夢に向かって挑戦することの魅力に取り憑かれました。向井千秋さんという魅力的な人間に出会えたのも、挑戦したからこそです。私も宇宙飛行士になって、向井さんと一緒に宇宙に行きたい。あの日の約束を果たしたい。体力の強化や英語力の向上など、気持ちと努力は誰にも負けていないはず。次のチャンスこそは、と信じ続けてきました」】
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福山さんは、この新書で描かれている、2008年に10年ぶりに行われた「宇宙飛行士選抜試験」にも挑戦しましたが、英語の筆記試験で不合格になり、1次選抜にも進むことができなかったそうです。 それでも福山さんは、「宇宙飛行士になるために、次の機会にも応募する」と断言されています。 年齢を考えると、現実的には、今後の合格は厳しいのではないかと思いますし、それは福山さん自身も承知の上で、「挑戦することそのものが生きがい」なのでしょうが、「宇宙への夢」というのは、ある意味残酷なものだとも考えずにはいられません。 何百年後かの人類は、僕たちが海外旅行で飛行機に乗るくらい手軽に、宇宙に行っているのかもしれないのに。
僕はこの『ドキュメント宇宙飛行士選抜試験』という番組を観るまで、宇宙飛行士選抜試験というのは、その人が、どこまで「スーパーマン」なのかをみるための試験だと思い込んでいました。 どれだけ、「その人にしかできない、超人的なこと」ができるかを評価されるのだろうな、と。 しかしながら、実際の試験は、密閉された空間での共同生活という特殊な条件下ではあるものの、やること自体は、そんなに「難しいこと」ではなかったのです。 ディベートをしたり、鶴を折ったり。 もちろん、自分の行動がすべてモニターされていて、評価の対象になっているという状況は、僕だったら、それでけで耐えられないくらいのストレスだとは思うのですけどね。
この向井千秋さんの話を読んで、僕は、向井さんが選ばれた最大の理由がわかったような気がしました。 向井さんは合格されたのですから、ものすごく試験のデキが良かったと自認していたのかもしれません。 でも、この試験はけっして簡単なものではなかったでしょうし、大学入試のように、「自己採点できる」ような試験ではありませんし、何人が合格するかもわからない。 向井さんだって、不安が無かったといえば、嘘になるはず。 そんな状況でも、初対面の同じ試験の受験者に対して、こんな気配りができるような人だったからこそ、向井さんは「合格」できたのではないでしょうか。
「宇宙飛行士として必要な資質」というのは、なにも特別なものじゃくて、「社会に生きる人間として必要な資質」を、ものすごく高いレベルで求められているだけなのです。 狭いスペースシャトルや宇宙ステーションで、何ヶ月も他国の人と生活するというのは、想像以上に大変なことだそうです。 ちょっとした言葉や習慣の違いが積み重なって、人間関係を壊していく。 でも、彼らは「環境を変えて気分転換」というわけにはいかない。
ほんと、簡単なことのようですが、この状況で、「一緒に宇宙に行こうよー!」と笑顔を見せるというのは、「普通の人間にはできないこと」だと思うんですよ。すごい研究やスポーツの記録のように目に見えることはないけれど、「他人と協調することの達人」もいるのだよなあ。
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