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2009年07月25日(土)
堀井雄二「『ドラクエ6』発売からが本当に長かった……」

『週刊ファミ通』(エンターブレイン)2009/7/24号の記事「ふたりのキーマンに聞く!〜『ドラゴンクエスト9』トップ2インタビュー」より。

(『ドラゴンクエスト9』のゲームデザイナー・堀井雄二さんとプロデューサー・市村龍太郎さんへのインタビュー記事の一部です)から。

【――最後になりますが、本作を心待ちにしている読者の皆さんにひと言お願いします。

市村龍太郎:『ドラクエ9』はこれ以上なく、DSの限界までたくさん詰め込まれた作品です。容量はもちろん、アイデアとか想いとかも含めて、これだけいろいろなものが詰め込まれている『ドラクエ』はいままでになかったかもしれないですね。まずはいつもどおり、自分なりに遊んでいただいていいと思います。そして、ふと立ち止まったときにまわりを見渡して「ちょっとほかの人ともいっしょにやってみようかな?」って思えるときがきたら、勇気を出してまわりの人たちと遊んでくれるとうれしいですね。そんな勇気を持ってくれたら、『ドラクエ9』でいままでにない『ドラクエ』体験が楽しめると思うので、ぜひ体験してみてください。

堀井雄二:初めて『ドラクエ』を作ってから、もう20年以上になります。『ドラクエ6』を発表したのが1995年ですから、そこまでは10年かかっていないんですね。でも、そこからが本当に長かった……。今回やっと『ドラクエ9』にたどり着きましたが、本作では、多くのスタッフたちのアイデアがてんこ盛りのように入っていて、いろいろ新しいことにも挑戦しています。でも、遊べば「やっぱドラクエじゃん!」と感じてもらえると思います。テレビを見ながらチマチマ遊んでもいい。難易度が高めのクエストもありますが、わからなくなったら友達に聞いたり、ネットで調べるのもオーケーです。その行為自体が、すでにゲームの楽しみのひとつですから。エンディングを迎えた後も、末永く遊んでもらえるとうれしいです。そしてもし、駅やマクドナルドなど、どこかで仲間を募集しているとき、ボクが乱入していっても、そのときは逃げ出さないでくださいね(笑)。】

〜〜〜〜〜〜〜

 これは、『ドラゴンクエスト9』発売直前に『ファミ通』に掲載された、堀井さんと市村さんへのインタビューの一部なのですが、僕としては、やっぱり「ドラゴンクエストシリーズの生みの親であり、生き証人」の堀井さんの言葉がとても印象に残りました。
 『週刊少年ジャンプ』で「ゆう帝」としてファミコンゲームの紹介をしていたり、『OUT』の読者コーナーを担当していた、「ちょっと面白い編集者」だっ頃から堀井さんの存在を知っていた僕にとっては、『ドラクエ』を作ってから、もう二十年以上になる、ということは……と、自分の年齢を再確認せずにはいられません。

 『ドラゴンクエスト』の『1』がファミコンで発売されたのは、1986年5月27日のことでした。当時は、「ロールプレイングゲームがファミコンで売れるの?」という懐疑的な見方のほうが多数派で、『週刊少年ジャンプ』で懸命にプロモーションをしているのを見ても、「ファミコンだし、子供だましみたいなゲームなんじゃないか?」と僕も思っていました。
 しかしながら、「1」は、シンプルながらもポイントを押さえた素晴らしいゲームで、鳥山明さんのキャラクターやすぎやまこういち先生のドラマチックな音楽で、ファミコンゲームに革命をもたらしたのです。「たいようのいし」が見つからなくて友達に聞いたのを、いまでもよく覚えています。

『ドラゴンクエスト2』の発売は、1987年1月26日。『1』の発売のわずか8か月後のことでした。『ドラゴンクエスト』のスタッフたちは、当初は「パーティ制のRPG」を考えていたそうで、本来は『2』のようなRPGを出したかったけれど、当時のファミコンユーザーにRPGの面白さを伝えるために、シンプルな『1』をまず発売した、という話を後に聞きました。
 この『2』から、ドラクエ名物の発売日の行列が生まれたのです。

 『ドラゴンクエスト3』のファミコンでの発売日は、1988年2月10日。
 これも、『2』の発売から、たった1年しか経っていません。当時はそんなに「次から次へと出る」という感覚はなかったのですが、いまから考えると、すごいハイペース。
 『ドラゴンクエスト4』の発売は、1990年2月11日。ここで2年間空きます。当時は、「けっこう待たされたな」という記憶がありました。
 スーパーファミコンにハードを移した『ドラゴンクエスト5』の発売は、1992年9月27日。前作から2年半。
 『ドラゴンクエスト6』は、1995年12月9日。ついに前作から「3年超え」です。それでも、堀井さんの感覚としては、「ここまではまだ順調」だったようです。もちろん、「7以降に比べたら」ですけど。

 その後、プレイステーションで発売された『ドラゴンクエスト7』は、前作から5年近くかかって、2000年8月26日発売。
 プレイステーション2で発売された、『ドラゴンクエスト8』は、2004年11月27日発売。『8』って、出るまでにものすごく待たされた記憶が僕にはあるのですが、実際は、『6』から『7』のときよりも、少し短い間隔で出ています。
 この頃になると、もう「ドラクエは1ゲーム機に1作」、「オリンピックの開催と同じくらいの発売間隔」といわれるようになってきました。
 そして、現在大ヒット中の『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』は、2009年7月11日発売。「なんとか5年は超えないように頑張っている」というのが、近作の発売ペースのようです。
 出せばまちがいなく売れる商品ですし、周囲の期待も高いので、開発期間が長くなるのは、しょうがないことではあるのでしょうけど、「このままだと、僕が死ぬ、あるいは主要スタッフの誰かがゲームを作れなくなるまでに、あと何作遊ぶことができるのだろう……」という気分にもなってしまいますね。
 ああ、でも『7』以降は、作っている堀井さんたちにとっても、やっぱり「長かった」のだなあ……

 あと、このインタビューのなかで興味深かったのは、堀井さんが、【テレビを見ながらチマチマ遊んでもいい。難易度が高めのクエストもありますが、わからなくなったら友達に聞いたり、ネットで調べるのもオーケーです。その行為自体が、すでにゲームの楽しみのひとつですから】と仰っておられたことでした。
 僕が最初に『ドラゴンクエスト1』で遊んだ1986年には、インターネットでいつでもゲームの攻略サイトにアクセスできる時代が来るなんて想像もつかず、行き詰ったら「友達に聞く」か、「ゲーム攻略本を読む(といっても、全部答えが書いてあるとは限らない)」か、「雑誌などにヒントが載るのを待つ」くらいしかありませんでした。そういう時代の「ゲームの難易度設定」というのは、いまの時代よりもやりやすかったはずです。
 「自分ひとりの力で、どのくらいの人が解けるのか?」というデータを集めればよかったのですから。

 いまは、「攻略情報」を得ようと思えば、ある程度の人気ゲームなら、ネットで簡単に「答え」を知ることができます。僕自身、ゲームの謎解きで悩んだとき、25年前なら一晩中考えていられたのに、最近は1時間くらいで、「時間がもったいないし、攻略サイト見ようかな」という衝動に駆られます。
 ゲームを作る側からすれば、「プレイヤーは、攻略サイトを見る可能性が高い」ことを想定せざるをえない状況です。
 攻略サイトを見ながら遊んだ人に、「こんなゲーム簡単!」なんて言われては、もうどうしようもないですよね。「攻略サイトを見る人基準」の難易度だと、「見ない派」にとっては、とんでもなく難解なものになってしまうでしょうし。

 堀井さんは、「わからなくなったら友達に聞いたり、ネットで調べるのもオーケーです。その行為自体が、すでにゲームの楽しみのひとつですから」と仰っておられますが、これは、20年以上『ドラゴンクエスト』を創ってきて、ゲームの「難易度設定」について悩んできた堀井さんの「自分自身へのひとつの答え」なのでしょうね。
 創り手の都合に合わせてユーザーが動いてくるわけではないのだから、現実に行われていることは、それを受け入れて「ゲームの一部」にしていくしかない。本当は、「自分の力で解いてみてね」と言いたくても。
 こういう堀井さんの「柔軟な発想」こそが、『ドラクエ』をずっと支えてきたのではないかと思います。
 とはいえ、僕自身は、「れんきんがまとか、めんどくさいなあ」とも、つい考えてしまうんですけどね。