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2009年01月27日(火) ■ |
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内田樹先生が「子育てで得た最大のもの」 |
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『悪党の金言』(足立倫行著・集英社新書)より。
(内田樹さん(神戸女学院大学教授・フランス文学研究者・エッセイスト)に足立倫行さん(ノンフィクション作家)がインタビューしたものの一部です。内田さんの一人娘・るんさんに関する話題から)
【足立倫行:るんちゃんと暮らしている頃、料理や洗濯は全部内田さんが?
内田樹:そりゃそうです。小さいから。
足立:いや、中学生、高校生になれば。
内田:「お父さん代わろうか」と言ってくれる日がいつか来るだろうと思って待っていたけれど、ついに来なかった(笑)。でも僕は、娘と二人で暮らして、初めて自分が「人間なんだ」と思い知らされました。
足立:と言うと?
内田:それまで僕は、自分を軽佻浮薄な現代人の典型と思っていたんです。薄情で、計算高くて、利己的で。けれど日々娘の面倒を見ていると、少しずつ献身的になってきて、自分の私利私欲なんてどうでもよくなってきた。自分のことよりも子どものこと。子どものためなら、いつでも死ねると思っている。そんな自分にびっくりしました。「俺はノーマル」というか、太古の、人間が初めて集団を作った時以来の普通の人間的な感覚が自分の中に脈々と生きていることを実感して。これは自分にとって大きな自信になりましたね。病弱な子どもとしてスタートした時から僕は、自分のことをでき損ないというか、戦後日本が作り出した畸形的な精神の一つだと思ってきた。だから、そういうフェイクな人間として時代の先端を浮遊するんだろう、と。でも、子育てを通じて、「いやけっこう地に足のついたまっとうな人間かもしれない、俺は」と思い直したんです。子育てで得たものの中で、それが最大のものですね。だから、「子育て嫌い!」と言う世間の人が信じられない。子どものおかげで今日の僕があるんですから。】
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この内田先生の話、父親生活3ヶ月目の僕にとっては、なんだかものすごく心に染みるものでした。 僕も「自分が子どもの親になること」に不安がありましたし、「自分の子どもだからといって、身代わりに死んでもいいと思えるくらいの愛情を抱けるだろうか?」と疑問だったのですが、息子と一緒にお風呂に入って、正面から顔を見つめていると、「まあ、僕が生きられるのはだいたいあと30年、お前はあと70年。今、どっちかが死ななきゃならないとしたら、お前が生き残るべきだろうな」というようなことを考えるようになりました。しょうがないから、そのときはお前に譲ってやるよ、と。 「自分の子ども」だと意識しているからなのだろうけど、やっぱり「他人とは思えない」のだよなあ。
僕もいままで自分のことを「薄情で、計算高くて、利己的な現代人」だと感じていて、「人間らしい自己犠牲の精神に欠けている」という劣等感を拭い去ることができなかったのです。 でも、自分で子どもを持ってみると、本当に「自分が何の変哲も無い普通の(ある意味「まっとうな」)人間のひとり」であることを実感せずにはいられませんでした。 ただ、「俺はノーマル」って認めるのは、それはそれで、「自信」になるのと同時に、ちょっとせつない気分でもあります。
僕の場合は、夜泣きされるとイライラしてしまうし、本を読んだりDVDを観たりするのが制限されたり中断されたりするのは辛いし、「子育て嫌い!」という世間の人の気持ちもよくわかるので、まだまだ、内田先生の境地にはほど遠いところにいるのですけどね。
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