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2008年12月16日(火)
『本の雑誌』の危機

『本の雑誌』2009年1月号(本の雑誌社)の椎名誠さんの「今月のお話」の一部です。椎名さんが、いままでのつくってきた数々の出版物(学級新聞からストアーズ・レポート、「本の雑誌」まで)の「編集長歴」について書き連ねてきた文章の最後の部分。

【『本の雑誌』の実質的な編集長をやっていたのは創刊して十年目ぐらいまでだったろうか。あとは目黒(孝二)が実質的な発行人兼編集長をやっておりぼくはモノカキの世界であっちこっち動きまわっていた。作家になって4年ぐらいして「白い手」という高校生のときに学校新聞で書いた掌編を長編小説に書き、それは東宝で映画化された。『本の雑誌』はその頃5万部になっていた。
 2008年になって『本の雑誌』の経営が急に悪化し、このままでは「休刊」に追い込まれるかもしれない、と現経営者に聞き、これはいかん、と思い、ぼくはもう何年も前から実質的な編集現場から離れていたが、なんとか立ち直る方向でみんなと頑張ることにした。今回いきなり自分の編集長の系譜を書いたのは、これが最後の「今月のお話」になるかも知れないから、と言われたからだが、これを書いている途中で(締切前日に)まだもう少し這いつくばってでも出していこう、というスタッフみんなの決意になった。地方の講演などに行くと、むかし『本の雑誌』読んでました、などという人とよく会うけれど空前の危機を迎えてしまったのでぜひまた『本の雑誌』を読むようにしてほしい。】

巻末の発行人・浜本茂さんの言葉
【今月のお話で編集長が書いているとおり、2008年になって当社の経営財務状態は急激に悪化した。それもサブプライムだのリーマンだのと言われだした時期に一気に悪くなったので、おお、わが社は世界経済ともリンクしていたのか、さすがワールドワイドな雑誌だのお。などと束の間は笑っていたのだが、もちろん笑っている場合ではなく、気がついたら存亡の危機に陥っていたのである。結果的に、人件費を始め、さらなる歳出削減を進めた上で、いましばらく這いつくばってみよう、ということになったが、本誌を取り巻く状況が楽観的ではないことは、お伝えしておかなければならないだろう。それはひとえに私の責任だが、今後、定価の改定等、読者のみなさんにもご負担をいただくことになるかもしれません。この雑誌を読んでしまったのが運の尽きと、継続的な刊行に力を貸してもらえるとうれしいです。】

参考リンク(1):WEB本の雑誌

参考リンク(2):「本の雑誌」(本の雑誌社)の経営危機について(愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記(2008/12/16))

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 僕がこの「『本の雑誌』の危機」を最初に知ったのは、このサイトの12月12日付けの記事でした。
 あわてて『本の雑誌』の今月号を買って読んだのですけど、いつも通りの誌面(なかには、「今号から新しく連載をはじめます!」なんてい人もいました)の巻末に、編集長の椎名さんと現発行人の浜本さんの言葉があったのです。
 僕が『本の雑誌』のことを知ったのは、大学時代に先輩に教えられて愛読するようになった椎名誠さんの著書からでした。椎名さんたちが安アパートに男だけで集団生活をしていたときのことを描いた『哀愁の町に霧が降るのだ』を読み、その仲間たちが同人誌から手弁当で『本の雑誌』を立ち上げ、部数を伸ばしていったのを知って、当時「周りに仲間もいない、孤独な本好き」だった僕は胸を躍らせていたのです。
 僕もぜひ『本の雑誌』を手にとってみたいものだとずっと憧れていたのですが、僕が住んでいた地方都市の1990年代前半は、中規模な郊外型書店が乱立していたものの『本の雑誌』を置いているような大型書店はありませんでした。
 ですから、僕が『本の雑誌』をはじめて実際に見たのは当時天神コアにあった紀伊国屋で、それからもしばらくは、「博多に出たときにしか買えない本」だったのです。当時は、Amazonなんて影も形もありませんでしたしね。今から考えたら、通販で定期購読するという手もあったので、やはり、それほど熱心な読者ではなかったのかもしれませんけど。

 『本の雑誌』は1976年4月から発行されていたそうなので、僕が実際に読んでいたのは、ある程度軌道に乗ってから、ということになります。
 あの頃は、『本の雑誌』の他には「面白い本をまとめて紹介してくれる雑誌」を知らなかったので、読むたびに欲しい本が増えていきました。
 まあ、「マニアックすぎてよくわからない書評」も多かったし、読みたい本でも、翻訳書やマイナーな作家の本などは、読みたくても僕の地元ではなかなか手に入らなかったのですが。

 それから20年近く、僕と『本の雑誌』とは、「ときどき顔を合わせては世間話をする昔からの友達」のような関係をキープしてきました。
 『本の雑誌』ほど見かけよりもコストパフォーマンスが高い本はなかなか無いとは思うのだけど、今でもやはり、『本の雑誌』を置いている書店というのはそんなに多くはないんですよね。僕が住んでいる人口数万人程度の地方都市ではなおさら。

 その間、『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)が「本を紹介するお洒落な本」として成功をおさめた一方で、『ダ・カーポ』は「本を紹介する雑誌への転換」を図ろうとしたもののうまくいかず、休刊に追い込まれてしまいました。
 同じ「本を紹介する雑誌」でも、『本の雑誌』が、「初版ですぐに絶版になるような本を1万部売ろうとしている雑誌」だとすれば、『ダ・ヴィンチ』は、「もともと10万部売れそうな本を20万部売ろうとしている雑誌」であり、この両者は異なる「書評誌」だと思っています。
 でも僕は、コンビニで買える『ダ・ヴィンチ』は毎号欠かさずに買っていても、車で1時間かけて、混んでいるショッピングセンターのなかの紀伊国屋に行かないと買えない『本の雑誌』からは、少しずつ疎遠になってしまっていたのです。「毎年1月号の『今年のベスト10』は忘れずに買うけど、あとは偶然書店で見つけたら買うかもしれない」という程度の付き合い。

 正直、『本屋大賞』は、いまや「直木賞に次ぐ『受賞作が売れる文学賞』」になっていますし、『本の雑誌』がそんな状況になっているなんて、思ってもみなかった、というのが僕の実感です。みんなが「自分が読まなくても、どうせ固定ファンが変わらず買い続けているだろう」と楽観しているうちに、いつのまにか斜陽になってしまったのでしょうか。

 『本の雑誌』の危機の原因というのは、インターネットで気軽にさまざまな「書評」を読めるようになったこともあるでしょうし、『ダ・ヴィンチ』の影響もあるかもしれません。
 そして、必ずしも「読者離れ」だけではなく、「すべての出版物において、特例を除き書店からの返品を受けない、完全買切制をとっている」という点にもあると思うんですよ。コンビニに並べて売れる本かどうかは微妙ですが、もっと一般の書店で買えるようになっていたら、もう少し売れていたかもしれません。あるいは、この不景気で、大型書店でも、「完全買切制」を敬遠するようになったのか……

 椎名さんも、もう還暦を過ぎておられますし(外見はものすごく若々しいのですが)、雑誌というのが「永遠に続く」ものではないかぎり、いつかは「終わり」が来るのは必然のことです。
 でも、僕は「憧れの人たちがつくった、憧れの本」である『本の雑誌』がこんな苦境に陥っているというのは、やっぱり寂しいし、できるだけの応援はしたいのです。
 椎名さんも浜本さんも「這いつくばってでも」という言葉を使っておられるのは、『本の雑誌』が現在置かれている状況の厳しさをあらわしているのでしょう。そして、ふたりの決意の強さも。
 椎名さんは作家として十分にひとり立ちしておられるので、「もう古い殻は捨てる」という選択肢もあるはずなのに。

 「潰れそうになったから応援する」というのは、ちょっとみっともないのは百も承知なのですが、それでも、僕は『本の雑誌』を続けてもらいたいし、そのためにここでささやかながらエールをおくらせていただきます。雑誌が続くかぎり、月1冊ずつですが、買い続けていくつもりです。
 ネットでいろんな人の書評が読める時代だからこそ、「プロの書評」には価値があると思うのですが……