|
|
2008年11月08日(土) ■ |
|
「I(アイ)メッセージ」で他者と向き合うことの大切さ |
|
『ふたり歩きの設計図』(槇村さとる著・集英社文庫)より。
(槇村さんが『子供の才能をのばすには『という「英才教育や各種の塾に必死に通う子供たちとその母親達を、チャラっと取材していた軽いテイストの番組」を観たときの話の一部です)
【さて、私の注目を引いたのは、番組の後半の方だ。思わず、ペンを置いて見入ってしまった。 「I(アイ)メッセージで子供と向き合う」というテーマだった。 才能、能力、に関しては神のみぞ知る、である。それよりも、子供の心と脳を発達させよう。自信のある人間にしよう。人を信じられる子にしよう、ということである。そのためには、親が「I(アイ)メッセージ」で子供とつき合うこと。 「そのとーり」と、がぜん賛同する私。 トホホな内容の前半とは違い、地に足のついたテーマだった。
ある家庭にカメラが入っている。 家業で食べ物屋さんをしている。両親は店で大忙し、息子10歳は、奥でゲームに夢中。 「なんであんたは言うこと聞かないの」 「さっきやるって言ったのに、やってない!」 「あんたはいつも……!」 と、取材されたお母さんは一日中、叫んでいるらしかった。
ゴチャゴチャッとしたにぎやかな家の中は、一見あったかそうなのだが、父、母、子供のコミュニケーションが、みんな一方通行のまま、ゴチャゴチャの中で消えてしまっているように見えた。 そこにコミュニケーションの先生からサジェスチョンが入る。 「お母さん、自分の気気持ちをそのまま伝えてください」 そして…… 子供が「クソババア!」と言った時、お母さんはキチンと座ってこう伝えた。 「お母さんは傷ついた(悲しい)」 それを聞いた時の、子供の顔がかわいかった。 ボーゼンと母親を見つめ、返す言葉もなかった。そのあと、黙々と母親との約束(自分でズックを洗うこと)をやりとげ、母親のところへ来て「さっきはごめんな」とハッキリ謝った。 母親はビックリし、「いいって、もう気にしてないから」と伝えた。 ゴチャゴチャしている家の中に、スッと1本の関係がハッキリ見えた。コミュニケーションの糸が通った感じがした。 ああ、よかった――と私は思った。 その後、この男の子は、ゲームよりも家業を手伝うようになったそうだ。皿を洗う横顔は、大人びてりりしかった。
番組がいうところのI(アイ)メッセージは、子育てのみでなく、私たちの生活でも大事なことだと思う。 文句や愚痴や命令をいつも叫んでいる人は、私とキチンと向き合ってくれる人間には見えない。 「私は――だ」 「私は――と感じる」 と伝えられた時に、相手を受け止めようという構えができるのだ。この人がここに居る、と確認できるのだ。 「私は――」と相手が語りだした時にはじめて、「自分の感情はともかく、聞こう、相手のおかれている立場を知ろう」と思うのだ。
自分がいる。やっかいな感情にがんじがらめになって、素直になることさえむずかしい自分が。 そして相手がいる。相手にも感情がある。やっかいさは同じだろう。 でも、その相手が勇気を出して、 「私は―――」 と、扉を開けている。 そうなると、聞かないわけにはいかない。いや、聞きたい。】
〜〜〜〜〜〜〜
人間の気持ちというのは、本当に「わからない」「伝わらない」ものなのですよね。 「クソババア!」なんて言われたら傷つくのが当たり前だし、そんなこと、わざわざ言葉にする必要があるのか?と僕は感じたのですが、「傷ついたこと」を言葉にしたときの子供への「効果」には、ちょっと驚いてしまいました。 気持ちっていうのは、悲しいほど「言葉にしなければ伝わらない」ものみたいです。
ここでは「母親と子供」のエピソードが紹介されているのですが、この「I(アイ)メッセージ」というのは、大人どうしの関係においても、非常に大事だと思うのです。 「自分が思っていること」「感じていること」を表明することにはけっこう勇気が要ります。 「こんなことを言ったら、無知をバカにされるんじゃないか?」 「相手を傷つけてしまうんじゃないか?」 「このくらいのことは、わざわざ言わなくても『気づいて』くれるはずなのでは?」 自分の感情をさらけ出すのが怖いときに、僕たちはこんなふうに言うのです。 「それが世間の常識だろ!」 「そんなことやったら周りの人が迷惑するでしょ!」 「自分で考えてみたら?」
これって、結局のところ、言われた側にとっては、頭では「とりあえず自分が否定された」ことは理解できても、実感としては、「世間」って何?「周りの人」って誰?という疑問しか感じないのではないかと。 実際に「世間」や「周りの人」から直接注意される機会なんて、そんなにあのではありませんし。
【文句や愚痴や命令をいつも叫んでいる人は、私とキチンと向き合ってくれる人間には見えない】というのは、本当にその通りだと思います。 でも、「I(アイ)メッセージ」を表に出すというのは、簡単なようでけっこう難しい。 自分に自信が持てないし、自分の感情を素直に表に出すことにも慣れていないから。 そして、「感情的である」ということは、日本では特に、敬遠される傾向があるから。
この槇村さんの話を読んでいると、「相手のことがわからない」のも「相手が本当はどう思っているのか知りたい」のも、みんな同じなのだな、という気がするのです。 人って、「自分にキチンと向き合ってくれる人」に対しては、「自分もちゃんと向き合っていきたくなる」のではないかなあ。
「I(アイ)メッセージ」、僕も大事な人と接するときには、心がけてみたいと思います。
|
|