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2008年07月20日(日)
「ダンディ坂野さん、『ブレイク』って何なんでしょう?」

『TVBros。 2008年11号』(東京ニュース通信社)の特集記事「ブレイクのメカニズム〜超高速回転する芸人の世界〜」より。

(「ゲッツ!!」で一世を風靡したダンディ坂野さんへのインタビューの一部です。インタビューのタイトルは、「ブレイクを駆け抜けた男 ダンディ坂野に直撃!」)

【インタビュアー:ブレイクを実際にご自身で感じられた瞬間は?

ダンディ坂野:ピンポイントでの判断は難しいですが、スケジュールがキツキツになり、同じ時間帯でオンエアされているテレビ番組に出ずっぱりの状態のときでしょうかねぇ…。あと、テレビに出てから2ヵ月後くらいにギャラが振り込まれるんですけど、口座の数字がみるみる上がっていった時はさすがに実感しましたね。時期的には2003年の2月半ば〜3月半ばにかけてです。ブレイクの直接のきっかけですか? ん〜やっぱり、マツモトキヨシさんのCMに出たことですね。後に人から聞いたんですが、子供がそれを見て”ゲッツ!!”とマネし始めて、それに親が食い付いて「ほら、ゲッツやってるよ」とCMが流れるたびに子供を呼ぶ、そんな感じで認知が広まっていったそうです。

インタビュアー:ブレイク中にどんなことを考えていましたか?

ダンディ:どの番組でも基本、ほとんど同じことを求められるので、最初は仕事をこなしている感じで、考える暇もなかったですね。事務所に前例がなく、当時は芸人さんも今ほど番組に出ていなかったので、いわば毎日が完全アウェー状態。ただもうがむしゃらでした。スケジュールが厳しくて、2〜3日寝なかったこともよくありましたね。自分の力では何ともならない状況でしたので、何も考えずとにかく流れに任せて仕事をしていました。
 でも心の中で、こんな夢みたいなことはちょっとしたバブルだ、いずれ終わると薄々分かってはいました。周りも、日本全体もそう分かっていたと思います。分かっていなかったのは子供くらい。子供は残酷で、次のものが流行ったらきれいに全員が次に移行するんですよね。小島よしおと僕は同じ事務所(サンミュージック)なんですが、今、良い意味で粘ってますし、これからも粘ってほしいですね。

インタビュアー:そのバブルに対して怖さを感じませんでしたか?

ダンディ:波がきているときは、その波に乗るしかないですよね。今しかない、今行くしかない! 行ける高さまで登ってやろう! と思っていました。

インタビュアー:ブレイクしていちばんうれしかったことは?

ダンディ:トレンディドラマでよく、「なんでたかだか20代なのにこんな家に住めるのさ!」っていう2LDKのマンションあるじゃないですか? ブレイクして間もなくの頃に、そんな2LDKのマンションに引っ越したのが一番うれしかったですね。物件は全部嫁さんに見にいってもらって、疲れて僕が仕事から帰ると、チェキで撮影した物件の内覧写真が40枚くらい並べてあるんです。引越し先はその中から選びました。
 あと、ブレイクしてから嫁さんと約束したんです。「せっかくの人生だし、ある程度までは贅沢もしようね」って。そこで、ようやく取れたオフの日に、昼からカウンターのお寿司を食べに行って、『好きな服買っていいよ』と吉祥寺のロンロンで2人で買い物をして、でも、帰りは電車って日がありましたねぇ(笑)」

(中略)

インタビュアー:ブレイクが終わった後、どんな変化がありましたか?

ダンディ:テレビでの仕事が減ったら、今度は地方の営業の仕事が増えたんです。各県の県庁所在地をたどって日本一周するんですけど、収入はむしろテレビに出ずっぱりの時より多かったですね。しかもマイルも溜まる。それで去年ハワイに行ってきました。
 しかし悲しいかな、次の年は、次にブレイクした芸人が1周目をするので、県庁所在地レベルの地方都市で2週目はできないんです。だから2週目以降の営業先は”ナントカ町”とか、ローカルな町を周ることになるんです。

インタビュアー:振り返ってみて、ブレイクとは何だったのでしょうか?

ダンディ:さすがにブレイクが終わった直後は、マスコミに利用された感じがしてテレビが嫌いになったこともありましたが、最近はむしろ好きになって、よくテレビを観て他の芸人さんが何をやっているのかチェックするようになったんです。ブレイクしたということは自分の中では大成功だったと今では思います。毎月、毎日お笑いを目指す人が生まれ、その道をあきらめざるを得ない人も生まれている中で、一瞬でも輝くという場面があったことは、この芸能界という世界での大成功です。こうやってブレイクとは何ぞやという特集で、ブレイクの代表者としてインタビューを受けているわけですしね。

インタビュアー:ブレイクから学んだことは?

ダンディ:欲張るといけないですね。僕も事務所も含めてやり過ぎはいけないと思います。僕たちが経験したことは、後に続く後輩たちの役に立っていると思います。

インタビュアー:最後の質問ですが、もう一度ブレイクしたいと思いますか?

ダンディ:したいって思いますけど、あの(過密な)スケジュールと同じだったら嫌ですね。どのような芸風でいくかはルー(大柴)さんに相談に行きます。】

〜〜〜〜〜〜〜

 あの「ゲッツ!!」で一世を風靡し、あっという間に姿を観なくなってしまったダンディさん、まさに「ブレイクを駆け抜けた男」のタイトルにふさわしい人ですよね。そういえば、最近またちょくちょくテレビに出演されているのを目にするようになった気もするのですけど。

 この貴重なインタビューを読むと、芸人にとっての「ブレイク」の実像がとてもよく伝わってきます。「
 同じ時間帯でオンエアされている番組に出ずっぱり」「あっという間に銀行の口座の数字が上がっていく」一方で、「どの番組でも基本、ほとんど同じことを求められる」「2〜3日寝なかったこともあるくらいで、考える暇もなかった」という状態では、すぐに飽きられてしまうことも目に見えているはずです。結局、同じことばかりを繰り返していて、工夫する時間もなければ、それを求められてもいないのですから。
 長い目でみれば、「露出をおさえる」ほうが正しい戦略のような気もするのですが、実際にブレイクしている最中っていうのは、芸人本人も事務所も「このまま波に乗るしかない! 行ける高さまで登ってやろう!」という感じなのでしょうね。長期戦略を立てたとしても、時代がそれに付き合ってくれるとは限りませんし。

 ダンディさんの場合は、比較的つつましい「ブレイク生活」を送っていたことが、今でもそれなりに「生き延びている」理由なのではないかと思います。
 それにしても、一度「ブレイク」すると、実はその後、テレビでの仕事が減ってからの「地方の営業」で一稼ぎできて、その後も営業先のランクを落としながらも、しばらくは営業でやっていけるという芸能界のシステムは、なかなかうまくできているものですね。
 一度でも「ブレイク」すると、やはり、芸能界で生きていくのにかなり有利であることは間違いなさそう。
 「一瞬でも輝くという場面があったことは、この芸能界という世界での大成功です」
 一度でも輝かないと、「消える」ことすらできませんしね……