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2008年07月18日(金)
「左右対称じゃない靴」を大ヒットさせた男たち

『なぜ、あなたの会社にはこれが作れなかったのか?』(夏目幸明著・小学館)より。

(「アキレス」の大ヒット商品『瞬足』の開発秘話。登場人物は、シューズ事業部商品企画開発部長・津端裕さん、シューズ事業部量販一課課長・久住登さん、シューズ事業部商品企画開発部・大滝慎一さん)

【シューズの販売を担当する久住登が話す。
「子供の運動会で私の娘の出番が終わり、学年別のリレーが始まったときでした」
 運動会のリレー。それは選ばれた者の戦いだ。かけっこに自信のある子がクラスのヒーローになれる日……。だが、彼の目の前に映った光景はあまりに残酷だった。
「知人の男の子が3番走者として先頭を争っていたんです。が、トラックのコーナーで足を滑らせて転び、そのクラスは結局、最下位に落ちてしまった」
 見れば転ぶ子はあとを絶たない。ある子は悔しさのあまり木の陰で泣きじゃくり、親が無言で子供の肩を抱く、というシーンもあった。
 帰り道、考え込んだ。シューズにできることはないのだろうか?
「考えてみれば、校庭のトラックって左回りばかりなんです。ならば、ソールの左側にグリップを付けて、左に曲がりやすい靴を作ったらどうか?」
 しかし、彼は自分の発想の突飛さに、自分でも呆れていた。
「でも、そのシューズ、左右対称にはならないよなぁ、と(苦笑い)」

 ものの形には合理性がある。デザインを担当する大滝慎一も久住の話を聞いて呆れた。
「その靴だとまっすぐ歩けないんじゃないですか? と言いました。靴の構造は左右対称。これほど当たり前の前提って、なかなかないですよね(笑い)」
 だが、久住がこの案を思いついて半年後、異動してきた津端が部員を集めて自由に案を出させると、彼が手応えを感じたのは久住の案だった。明確な理由があった。
「差別化ってイージーな言葉ですよね。よく、仕事で他の業界の新商品発表会に行くんですが、『ここを差別化しました』って説明を聞くと、たいてい使う側から見れば大した差じゃない。その点この案、周囲に理解してくれる人がいないほどでしたが、実はこれこそが本物の”差別化”じゃないのか?」
「作ろう。やってみる価値はあるはずだ」ここで津端は部員にハッパをかけた。それは要約すると、リレーのバトンはもう自分たちに渡されている、という話だった。
「会社は変わらなければならない。僕らは僕らの時代を走らなければならないんです。そして単純なことだけど、”今、自分の胸が熱く躍るものを作る”それが時代とともに走るって意味だと思うんですよ」
 津端の挑戦的な言葉に、若い大滝らは共感した。だが、開発は難易度が高かった。靴の左端にスパイクを付けると、大滝が直感したとおりまっすぐ歩くとき影響が出る。そこで、ストッパーに適度な強度を持ったラバーを使った。土のグラウンドではグリップ力を持つが、アスファルトなど固いところを歩くときは曲がって沈み込み、他のシューズと同じようにソールのゴムが着地する仕組みだ。ここで興味深いのは、彼が原点に戻って研究を続けたことだ。
「デザインも一から変えました。子供たちってカッコいいシューズが好きだからゴテゴテと機能が付いているものばかりだったんですが、これを思い切ってなくした。軽いほうが速く走れる。そして、速く走れるシューズこそが本当にカッコいいはずなんです」
 だが設計が終わると社内から妙な反応が来た。中国の工場へ試作品を発注したときだ。
「設計図が間違ってないか、と電話があったんです。『合ってます』と伝えると、今度は現場の責任者からも連絡があって『設計図どおり作りますが、責任はとれませんよ』と言われてしまいました。
 だが、津端はこの話を聞き、心のなかでニヤリと笑ったという。
「1シーズンに20〜30万足は堅い、と確信を持ったのはこのときです。差別化を考えているのにスーッと行ってしまうほうが、よほど怖いでしょ。関係者が驚き、理解できないという声が出るくらいでないと”斬新”などと言えないはずだ」

(中略)

 実は発売に至るまでにも紆余曲折があった。販売店がなかなか商品を置いてくれないのだ。だが、営業も兼務していた津端が必死に口説いて回った。口説き文句は、ただひとつ。「これが新しいスタンダードになりますよ」。なんとか確保できたのは全国300店舗。個人経営のスポーツ店などを、津端や彼の部下が一軒一軒訪問した成果だった。
 ところが、2003年4月に商品が販売されると、状況が徐々に変わり始める。最初の売れ行きはまずまずだったが、9月に異変が起こった。
「通常、シューズは春に売れるんですが『瞬足』は運動会シーズンを前に一気に売り上げを伸ばした。開拓できたのは”運動会用のシューズ”という新しい需要でした」
 しかも、子供たちはその後もこぞってふだん履きのシューズとしても『瞬足』を選んだ。速く走れる。それは何よりカッコいい。翌年にかけて販売店舗が3倍以上に伸び、大滝らがさらなる軽量化、グリップ力の強化を続けると、売り上げは津端らも驚くカーブを描いた。年間の売り上げ、約300万足。小学生は全国で600万人程度というから驚くべき数字だ。】

参考リンク:アキレス『瞬足』

〜〜〜〜〜〜〜

 僕はこの本で『瞬足』のことをはじめて知ったのですが、小学生の子供を持つ親たちには、もうすっかりお馴染みの商品なんでしょうね、これ。
 【津端さんが娘の小学校で下駄箱を見ると、3足に1足は『瞬足』だった】というエピソードも紹介されていますし。

 この「左右非対称の靴」、こうして大ヒット商品になってしまえば「なるほど!」と頷かざるをえませんが、商品化され、起動に乗るまでは、かなり大変だったみたいです。
 F1の世界では、車はサーキットを同じ向きにずっと回っていくので、左右のタイヤの磨耗に差が出ることが知られています。そこで、少しでも速く走り、また、タイヤを効率的に長持ちさせるために「左右違う堅さのタイヤを装着して走る」というのは、当たり前の戦略になっているのです。
 でも、それはあくまでも「1000分の1秒を争い、莫大なお金が動くモータービジネスの世界の話」。特定のスポーツのための専用シューズならともかく、「運動会のため」に、まっすぐ歩けるのか疑問になるようなシューズは買わないだろう、と考える専門家たちのほうが、「常識的」だったと僕も思います。もちろん、『瞬足』がこんなに大ヒットしたのは、「運動会のときに速く走れる」だけではなく「普段の履き心地も良くなる」ように、妥協せずに研究したからなのでしょうけど。

 僕がこの話のなかでもっとも印象に残ったのは、津端さんの【「差別化を考えているのにスーッと行ってしまうほうが、よほど怖いでしょ。関係者が驚き、理解できないという声が出るくらいでないと”斬新”などと言えないはずだ」】という言葉でした。
 実際は、専門家や関係者に「おお、これならわかる」「これならいいんじゃないか?」と頷いてもらえるような「差別化」を目指して、そこをゴールにしてしまう場合がほとんどです。
 しかしながら、その程度の「差別化」というのは、要するに「専門家たちにとっては、想定内」だし、「誰かがどこかで思いついたことがあるくらいのもの」です。
 逆に、専門家が「何だそれは?」「そんなのダメだよ……」と言うくらいの「常軌を逸した」ものじゃないと、素人目からすれば、「本当に新しいもの」じゃないんですよね。
 もっとも、『瞬足』の場合は見事に大成功を収めましたが、こういうのは大きな「賭け」であることも間違いありませんが。

 ところで、この話を読んでいて、僕はオリンピックの「水着問題」を思い出してしまいました。
 『瞬足』は、開発者たちの熱い気持ちが込められた素晴らしいシューズなのですが、その一方で、「『瞬足』を履いていると、明らかにかけっこで速くなる」ということであれば、「『瞬足』を買えない子はどうするんだ!差別だ!」との声が出てくる可能性もありそうです。
 子供たちからすると、「『瞬足』を履いていないだけで圧倒的に不利」というのは、やはり、あまり気持ちの良いものではないでしょうし。速く走れても「シューズのおかげ」、逆に「『瞬足』を履いても遅い」子だっているはず。優秀すぎる道具というのは、スポーツの世界では、ある意味「問題児」なんですよね。
 「運動会用シューズ」がこんなに売れる国、日本。
 なんのかんの言っても、まだけっこう豊かなんだなあ、という気もしてきます。