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2008年06月02日(月)
「ちょいウザのコツは、気づいたらなるべく早く、さらりと、そして具体的にお願いすることです」

『つっこみ力』(パオロ・マッツァリーノ著・ちくま新書)より。

【電車の中で若い女の子が平気で化粧することを叱るコラムやエッセイを、しょっちゅう目にしますよね。私はむしろ化粧をする女より、ああいうコラムを書く人に、無性に腹が立つんです。ああいうのを書く人って、人間同士の関わりを拒否している、人間不信の社会システム論信者だからです。
 個人的には、電車での化粧は気にならないんですが、音漏れヘッドフォンは気に障るので、あんまりうるさいときには、「すいませんけど、ボリューム下げてもらえます?」と頼みます。
 公共の図書館でしょちゅう調べものをするんですが、そこでおしゃべりしたり、やかましい音たててる人ってけっこういるんですよね。よくあるのが、ルーズリーフのペラ1枚だけを机において、凄い筆圧で叩きつけるようにノート取る人。コンコンコンコン、ってかなりの騒音なんですが、あれ、本人はまったくうるさいという意識がないんですね。だから、静かに書いてくれませんかと頼むと、ちょっとビックリした顔します。
 そんな、ちょいウザおやじの私ですが、ちょいウザおやじの頼みに、たいていは応じてくれますね。ちょいウザのコツは、気づいたらなるべく早く、さらりと、そして具体的にお願いすることです。
 そのうち相手がやめてくれるだろう、とガマンにガマンを重ねて、耐えきれなくなってから注意すると、どうしても、抑えていた怒りの感情が表に出てしまいます。昔の東映任侠映画みたいなもんです。高倉健さん演じるヤクザは、理不尽な仕打ちを受けてもガマンを重ねるのですが、ついにぶち切れて殴り込みをかけて血しぶきが飛ぶというね。ご近所や図書館で、血しぶき飛ばしちゃあ、いけません。
 ガマンしてずっと何もいわないでいると、相手は自分の行為が容認された、べつに周囲に迷惑はかけてないと判断してしまいます。そうなってから注意すると、え、いまさらなんで? とヘソを曲げてしまうのです。だから、ちょいウザはなるべく早く、さらりとがコツで、相手が応じない場合は深追いしないことです。ちょいウザに命を張るほどの価値はありません。
 でも、口に出して相手に伝えなきゃ、問題は永久に解決しません。身振りやしぐさで9割伝わるだなんて本がありますけど、それが本当だったあ、とっくの昔に日本語は消滅していて、いまごろ日本人は全員パントマイムで意思疎通を図っているはずです。
 弁護士と検察官と裁判官がみんなでパントマイムやっている裁判って、傍聴したいですよねぇ。いや、笑いごとじゃありません。裁判員制度が始まって、裁判員に選ばれたら大変ですよ。まずは、中村有志さんにパントマイム習いに行くところから始めなきゃならないんですから。
 あと、注意をするとき具体的にってのは、「うるさい」「やかましい」ではなく、ボリュームを下げてくれみたいに、してほしいことを具体的に頼んだほうが、相手も受け入れやすいってことです。私は団地の1階に住んでまして、芝生で遊ぶガキがいてうるさいときは、注意します。そのときも、ここで遊ぶな、あっちに広場があるから、そこへ行け、と具体的に誘導します。
 そんなわけで、若者のマナーを叱るコラムを目にするたびに、それほど不快に感じるなら、なんでこの人、その場で本人にいわないのかな、って不思議でならないんですね。電車の中で化粧するような女の子は、新聞やオッサン向け週刊誌のコラムなんか絶対読まないんですから、買いてもムダでしょ?
 そういう問題は、不快に感じた人が、相手に直接話しかけて、オレはいま凄く不快なんだ、だからやめてくれ、と自分の気持ちを伝えることでしか解決できないんです。個人の行動、個人と個人の対話で解決すべきことなんです。それを社会問題みたいなデカい話、マクロな話にすり替えること自体、ごまかしだし、コラムで世間に訴えることで若者の行動を改善できるのだ、なんて考えてるとしたら、妄想プロフェッショナルです。】

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 結局のところ「電車内で化粧をする若い女の子」も「ヘッドフォンからの音漏れ」も、「気にはなるし、なんとなく苛立たしくはあるけれども、自分でその人に直接注意しようと思うほど切実な問題ではない」ということなのでしょうね。
 ここで著者が書かれていることは至極もっともなのですが、気弱な僕は、「もしそんな注意をして、逆ギレされて相手に襲われたり、周囲の人に『こいつウザいな』とか思われたらどうしよう」というようなことを、ついつい考えてしまいます。そういうリスクと、電車の中で30分くらいの「ちょっとした不快」をガマンするのとでは、後者のほうを選んでしまうのです。

 多くの人は、僕と同じようなことを現場では考えて自制するのだけれど、一人になってから、「どうして相手のほうが悪いはずなのに、自分がガマンしなければならないんだ!」という怒りが湧き上がってくるのを抑えられず、「新聞に投書したり、コラムに書く」というような行動に出るのではないかと。
 実際、「その場で注意する」のと「あきらめてガマンする」の二者択一というのは、どちらにしても被害者側にとってはあまりメリットがない選択肢ではあるのです。

 ただ、「自分にとって居心地の良い環境」が自然につくられるのが当然だ、不快な環境というのが異常なのだ、という考えは、「甘い」のではないかとも思うんですよね。
 むしろ、「居心地を良くするためには、ある程度のリスクを冒すのは仕方がない」のかもしれません。たしかに、「じゃあ、新聞に投書したら、誰かがなんとかしてくれるのか?」というと、そんなことはまずあり得ないわけですから。
 もちろん、電車内での携帯電話の通話禁止のように、多くの人の不快感の積み重ねが、制度の設定につながる場合だってあります。しかしながら、「電車内での化粧への不快感」や「音漏れが気になる音量」なんていうのは、かなり個人差も大きいと思われますので、これらを「マナー」として呼びかけることはできても、「禁止」するのはなかなか難しいはずです。携帯電話の場合も、「ペースメーカーなどに影響を与える可能性があるので」というのが、「使用禁止の理由」でしたし。

 アメリカの地下鉄で、「この駅からこの駅への路線は、日本人が一人で乗ると危ないから」なんていう話を現地の人に聞くと、「車内での化粧や携帯電話が『問題』になる日本というのは、なんて平和な国なんだろう」という気もするんですけどね。

 この文章のなかで僕がいちばん参考になると感じたのは、「ちょいウザのコツは、気づいたらなるべく早く、さらりと、そして具体的にお願いすること」というところでした。
 これって、見ず知らずの人にいきなり注意する場合に限らず、身内や友人・知人に対しても「ちょっと気になるときの注意のしかた」として、知っておいて損はないことだと思います。
 たしかに、「そのうち収まるだろう」とガマンしているうちに、こちらの苛立ちはどんどん増していき、爆発して注意したときには詰問調になってしまうことって多いですし、そうなると相手も「いままで何も言わなかったのになんで急にそんなに怒り出すんだ!」と逆ギレしやすくなりますよね。
 ガマンする側の立場になれば、多くの人は「限界までガマン」してしまうにもかかわらず、自分が注意される側の際には、「そんなに嫌なら、さっさと言えばいいのに」なんて、かえって不快になってしまうのはよくあることです。
 音漏れなんてまさにそんな感じで、スイッチを入れてすぐに「すみません、ちょっとボリューム下げてもらえます」と言われれば、「あっ、すみません」と素直に応じてくれるケースでも、「お前、うるさいんだよ!周りは迷惑してるんだっ!」とガマンを重ねて激嵩に至った人に注意されれば「なんだその言い方は、そっちが勝手にガマンしてただけじゃねえか!」と「売り言葉に買い言葉」になってしまいます。

 こういうちょっとした注意って、親しい人が相手だと、かえって難しい面もありますが、「なるべく早く、さらりと、具体的に」というのは、知っていて損はないと思います。
 「放っておけば、そのうち収まる」って信じたいのはやまやまなんだけど、放っておいたせいでこじれてしまうケースって、けっこう多いですしね。