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2008年05月21日(水)
「僕、人に『えっ?』って言われるとね、傷つくんですよ」

『空耳アワワ』(阿川佐和子著・中公文庫)より。

【小さなパーティでの出来事である。雑踏のなかから若い女性が現れて、こちらへ近づいてきた。そのとき私は、どちらかというと若いとは言い難い(つまりぜんぜん若くない)男女のグループに加わってお喋りに興じていた。
「あのー」
 若い女性が声を発した。視線が合う。
「ん?」と思い、「私にご用?」という意味で、人差し指を自分の鼻先に突きつけた。
「……はい。実は……」
 そこから先が聞こえなかった。彼女はテーブルを隔てた向こう側に立っている。会場には生バンドが入り、大音響で演奏中である。
「……なんです。で、私……」
 思わず私は、「えっ?」と聞き返した。するとその女性は顔を真っ赤にし、おどおどし始めた。
「いえ、お邪魔してすみません。実は私、アガワさんのファンで」
 なんだ、そういうことだったの。怯えることないのに。こんな若い女性にも私のファンがいたとは有り難い。私はありったけの愛想を振りまいて、
「あら、どうも。それはそれは。お勤めですか? まあ、そう」などとひとしきり彼女とお喋りをして、別れた。
 彼女が会釈をしながらその場を離れたとたん、私の横にいた年配紳士がT呟いた。
「かわいそうじゃないの」
 何のことか。私が彼女にかわいそうなことをしただろうか。
「なにが?」
 訊ねると、
「アナタが『えっ?』って言ったとたん、彼女、ビビっちゃったんだよ。こっちは怖そうなオッサンオバサンばかりで、そこへ乗り込んでくるだけで相当の勇気が要ったと思うよ。そこで『えっ?』って聞き返された日にゃ、そりゃビビるよ」
 なるほどそうだったかもしれない。
 かつて俳優の西村雅彦さんにインタビューをしたとき、注意されたのである。西村さんの声が小さかったので、私がつい、「えっ?」と聞き返した。たちまち西村さんが顔を微妙にゆがめておっしゃった。
「僕、人に『えっ?』って言われるとね、傷つくんですよ」
 ここから先はそのときの再録である。

西村:昔ね、聞こえないと「えっ?」って言う友達がいて、何でこの人は「えっ?」って聞けるんだろうと思って。

阿川:スミマセン。

西村:いや、非難してるんじゃなくて。それで、いつか僕も「えっ?」って人に聞き返せるようになってやろうと決意したんですよ。

阿川:子供の頃に?

西村:十代の頃かな。で、一時期、ことあるごとに、聞こえてるのに「えっ?」て聞き返した(笑)。「えっ?」ってセリフがあると、ことさら強調して言ったりもしてましたね。今でも言ってるし。小さい頃に受けた傷はいまだに癒えず、今仕返しをしているとこなんですけど(笑)。

 あのとき西村さんにそう言われ、たしかにそうだと反省したものだ。「えっ?」には相手を叱咤する響きがある。言っている本人にその意図がなくても、言われた側は怒られたような気分になり、もしや自分の発言が、とてつもなく的はずれではないか、失礼なことを言ったのだろうかと不安になる。力関係で言えば、「えっ?」の側が断然、偉そうで、居丈高だ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕も「えっ?」って聞き返されるのって、本当に苦手です。
 少なくとも肯定のニュアンスの反応ではありませんしね。
 僕は昔から喋っているときの自分の声の小ささとか滑舌の悪さにちょっとしたコンプレックスがあるので、なおさらそういうふうに感じてしまうのかもしれませんが、「えっ?」と聞き返されると、「もっとしっかりはっきりしゃべれよ!」とか「お前の話はわかりにくいんだよ!」とか非難されているような気がしてしょうがないのです。

 それに、僕のイメージでは、「自分が尊重している相手に対しては、どんなに聞き取りにくくても、『えっ?』とは聞き返さないはずだ」というのもありますし。
 そういうことは実際にはありえないのですが、例えば、天皇陛下と直接お話をさせていただく機会に、陛下に「えっ?」って聞き返す人はいないはずです。それはちょっと極端なシチュエーションだとしても、学生が先生に対して「えっ?」って聞き返すことはありえないはずです。

 まあ、友達同士なら、「コイツは『えっ?』って聞き返すのが口癖なんだな」とわかっているでしょうし、相手が高齢者で耳が遠い場合には、「聞こえづらくて、この人自身も苛立っているのだろうな」ということで、そんなに気にはならないのでしょうけど(実は、働き始めたころは、外来でお年寄りに「えっ?」って聞き返されるたびに、内心ちょっと傷ついていたんですが)。

 この後の文章で阿川さんも書かれているのですが、「えっ?」を使う人の大部分は、「単純に聞こえなかったから、最もシンプルな言葉で聞き返しているだけ」で、それで傷ついたり、不快になったりする人がいるなんて「想像もつかない」のです。自分に悪意がないだけに、相手がなぜ傷つくのかもよくわからないんですよね。

 しかし、「えっ?」が使えないとなると、「本当に聞こえなかったというシチュエーション」で、どういう反応を示せばいいのか、ちょっと悩ましいところではありますね。
 僕はそういう場合、聞き返すのも悪いということで、「なんとなく聞き流してしまう」ことが多いのですが、本当は、そのほうが「失礼」なのかもしれません。