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2008年05月17日(土) ■ |
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井上雄彦さんに『バガボンド』を描かせた編集者 |
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『漫画ノート』(いしかわじゅん著・バジリコ)より。
【先日、番組(NHKBS2の『BSマンガ夜話』)で取り上げたある作品の出版許可を貰おうと、キネ旬の編集者が、その漫画の担当編集者に連絡をしたところ、断られてしまったらしい。出演者が番組中にその漫画について話したことに対して、いちいち反論を載せさせてくれるのなら出版を許可する、と彼はいったという。ぼくが直接話したわけではないので、ニュアンスまではわからないのだが、それが本当なら、編集者の作者に対する過保護、管理のいきすぎもここまできたかと思わせるエピソードだ。
(中略)
それから、もうひとつ、『モーニング』で連載中の、井上雄彦、『バガボンド』だ。 『少年ジャンプ』であのバスケット漫画『SLAM DUNK』の超大ヒットを飛ばした彼の実質第二作が、他誌他社の、それも青年誌の、おまけに<宮本武蔵>だったことに驚いた人は多いだろう。ぼくも、驚いた。 青年誌なのはともかく、いったい、なぜ武蔵、なぜ時代劇。理由が、わからなかった。 『SLAM DUNK』が終わったあと、各誌の編集者が彼のもとを訪ね、うちで連載をやってくれと依頼した。あれだけの大ヒットを飛ばし、あれだけの魅力的な絵を描く旬の漫画家を、ほっておく編集者はいない。 その中から井上がモーニングを選んだのには、理由がある。どこの編集者も、なんでも好きなものを描いてくれて構わないと連載を依頼するだけだったのに対し、ひとりモーニングの編集者だけが、具体的な企画を持っていったからだという。ぜひ、うちで吉川英治の宮本武蔵をやってほしい、と依頼したからだという。 本人から聞いたわけではないので、真偽のほどはわからないのだが、それが本当なら、まだ漫画界も捨てたもんじゃないな、と思わせるエピソードだ。 自分の枠内に収めようとする編集者と、自分の企画を膨らませて貰おうと思う編集者。どちらに意味があるかは、明らかだと思う。】
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この項には「編集者の仕事」というタイトルがつけられているのですが、編集者に限らず、「一緒に仕事をするパートナーとして、どんな人を選ぶか」ということを考えさせられる話です。 ここで紹介されている2つのエピソードは、いずれも「本人から直接聞いた話ではない」そうなので、「事実」ではない可能性もありますが、こうして書かれていることと、いしかわさんのこれまでの言動を考えると、「かなりの確率で事実だとみなせる話」だと思われます。
僕も井上雄彦さんの第二作が『モーニング』に連載され、しかも、その内容が吉川英治の『宮本武蔵』をベースにしたものだということには、けっこう驚いた記憶があります。よく『週刊少年ジャンプ』が手放したな、というのと、なぜこの時代に、あの井上雄彦が『宮本武蔵』なんだ?というのと。
結果的には、この「試み」は大成功し、『バガボンド』で井上雄彦さんは「一発屋」では終わらない実力と表現の幅広さを見せつけ、マンガ家としての評価を不動のものとしたのですが、「実質第二作」をどういう作品にするか、ということには、井上さんもかなり悩んだのではないでしょうか。 『SLAM DUNK』の成功があまりに大きかったためになおさら。
外野からみると、「そんなの『丸投げ』してくるような編集者より、ちゃんと『協力』してくれる編集者(あるいは雑誌)と組んだほうがいいに決まっている」ようにも思えるのですが、成功して、周りがイエスマンばかりになってしまうと、「自分の描きたいものを描かせてくれ」と考えるのが一般的なのでしょう。編集者たちだって、「好きにしていい、と言わないと描いてくれないのでは……」と思っていた人がほとんどなのでしょうし、もし仮に、あの時期の井上さんを起用して、こちらからリクエストした作品で失敗したら、その編集者にとっても大きな「失点」になるはずです。
もちろん、こういうのは作家それぞれに「向き・不向き」があり、「やりたいようにやったほうがうまくいく作家」というのも存在するのかもしれません。 しかしながら、井上雄彦さんの場合は、「好きにさせてくれる編集者」よりも「自分の新しい引き出しを見つけてくれる編集者と仕事をすること」を選んだのは、結果的に「正解」だったわけです。 たぶん、「自由に描いていい」という条件に魅かれて描きはじめ、結果的に自分を見失ってしまったマンガ家もたくさんいたのでしょう。
それにしても、「なぜ武蔵、なぜ時代劇」。あのとき、僕たちと同じ疑問を持ったであろう井上さんを、この編集者はどんなふうに「説得」したのか? その「答え」をいつか訊いてみたいものです。
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