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2008年04月15日(火) ■ |
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すなわち、私はモンゴルという土地に完敗を喫したのだ。 |
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『ザ・万歩計』(万城目学著・産業編集センター)より。
(文中の「タイガ」とは、針葉樹林帯のことで、モンゴル語で「森」を意味する言葉(万城目さんが行った「タイガ」は、モンゴルの首都ウランバートルから車で3日、馬で2日かかったそうです)です。そして、「ツァータン」とは、タイガに住んでいる「トナカイを飼う民」という意味だそうです)
【人間にとって、もっとも豊かな生活――それは自給自足の生活、などと知った口を叩き、モンゴルへ飛んだ私。 晴耕雨読。緑に囲まれ、心健やかに、風雅で優雅なエコ生活を送ろうと夢見て、モンゴルを目指した私。 愚かであった。あまりに愚かであった。 実際にモンゴルの地に渡り、私がしたことは、観光でもなく、旅行でもない。労働だった。 淡々と一日中働いた。何のため? 食べるためである。 朝、起きる。朝食を食べなければならない。気温はマイナス近いテントの中で火をおこす。お湯を沸かして、調理する。食材はウランバートルの市場でしこたま買って、馬に積んできた。肉類は、タイガでは手に入らない小麦粉や砂糖と交換に、ツァータンから分けてもらう。ツァータンはその肉を狩猟によって手に入れる。雪が降ると、ツァータンは背中に銃を背負い、トナカイに乗って狩りに出かけた。動物の足跡が雪に残るからだ。雪の向こうにゆらゆら揺れながら消えていく、白いトナカイに乗ったツァータンたち。ほとんど、この世の眺めではなかった。 朝食を終えると、次は昼食の準備だ。川で水を汲み、燃料となる薪を割る。切り倒され、乾かされている太い丸太を、ノコギリで40センチほどに切り出し、斧でぱこんぱこんと割っていく。 されども、こちらはどこまでも無能な日本人である。なかなかノコギリを上手に扱えず、斧を真下に振り下ろせない。そのうち、最初はニコニコしながら見ていた、中学生くらいのツァータンの少女たちに、 「ああ、チンタラ鬱陶しい。見てられんわ!」 と怒った顔でノコギリを奪われ、 「こうやるの、わかる?」 と手本を示される体たらくである。 昼飯を終えると、また薪割りだ。水を汲みがてら、子供たちにこの木の傷はクマの爪痕だ、などと教えてもらっているうち、すぐに夕食の準備の時間が訪れる。 もちろん電気は通っていないので、空に太陽が出ている間が人間の活動時間だ。日照時間のうち、3時間はメシを食べ、3時間は調理し、2時間は薪を割って、水を汲む。ほとんどの時間をメシのために使っている計算になる。ときどき外出して、ユリ根を掘りに行ったり、ジャムを作ろうとベリー類を集めに向かったりするので、さらにメシ関連時間は増加する。 それにしても、肉体労働のあとのメシはどうしてあんなにウマいのか。材料は限られているのに、信じられないくらいウマい。食べ終わるとすぐに腹が減る。腹が減るから、次の食事の準備のためにまた薪を割る。ついでに子供と遊ぶ。 モンゴル語が話せない私は、昼間ツァータンのテントで塩味のミルクティーを飲みながら、大人たちと四方山話にふける、ということもできないので、もっぱら7、8人はいる子供たちの相手をさせられた。 いつになっても終わらぬ鬼ごっこ、リスを犬が捕まえてくると全員で皮剥ぎショー、夜はロウソクを灯してお絵かき教室、モンゴル語レッスン。自分一人でゆっくり思索に耽る時間など、どこにもない。 タイガにやってきて数日が経った昼下がり、私はハタと気がついた。 自給自足とは何もしないでよい生活ではない。 常に身体を動かし、始終何かをし続けなければならない生活なのである。しかも、私たちは食材を買ってきているため、実際は何ら自給自足ではない。これで遊牧の仕事が入ったら、遊ぶ時間すらなくなるだろう。 少しだけ古い時代の生活に戻り、私はようやく理解した。 非力な者も、病気がちな者も、動物を扱うのが苦手な者も、農作業が苦手な者も、個体間に現れる偏差を最低限に抑え、誰でもとりあえずはそこそこの生活水準を保ち、そこそこの余暇を得ることができるよう、我々のご祖先はせっせと現在の社会を構築してきたのだ。そのご先祖様の成果を否定し、自分探しだ何だとうつつを抜かす私は、何というたわけ者か。 そもそも私たちは、今いる社会のなかでしか生きられない。およそ10日間のタイガでの生活を通じ、私が思い知らされたのは、モンゴル人との絶望的な生活力の差だった。人間としての生存力の違い、と言ってもいい。モンゴル人になりたい、などという、日本で抱いていたふやけた願望は、木っ端微塵に砕け散った。そんな考えを持っていたこと自体が恥ずかしかった。 お世話になったツァータンの家族とお別れして、タイガを旅立つ朝、正直に言って、別れの悲しさより、これから自分の場所に帰ることへのうれしさのほうが強かった。空も山も森も、タイガという土地の美しさにはとてつもないものがあったが、やはり日本に帰れるという安堵感が勝った。 すなわち、私はモンゴルという土地に完敗を喫したのだ。】
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『鴨川ホルモー』『鹿男あをによし』とヒット作連発で、いまもっとも注目されている若手作家のひとり、万城目学さんが大学4回生のときに体験した「モンゴルでの体験」。
テレビのドキュメンタリーなどで、「モンゴルの大自然のなか生きる人々」の姿を目にすると、蛇が怖くて山歩きをするのも苦手な僕でさえ、「ああいうところで、ゆったりと暮らしてみたいものだなあ」なんて夢想してしまいます。 ところが、それを「実現」してみた、この万城目さんの体験談を読んでみると、「自給自足の生活では、『晴耕雨読』なんてノンキなことは言ってられない」みたいなんですよね。 ここに描かれている「ツァータンの日常生活」というのは、まさに「メシを食べて生きていくための労働の繰り返し」。 考えようによっては、現代の日本人だって、「メシを食べるため(のお金を稼ぐため)」に毎日働いているわけですが、「余暇」とか「休日」は、電気のおかげで夜も活動できることも含めて、現代の日本人のほうが、はるかにたくさんありそうです。
このツァータンの生活には、「現代人」たちが失ってしまったある種の「生き抜くことだけに集中していればいい、という充実感」がありそうな気がしますけど、少なくとも現在の「文化的な生活」に慣れきってしまった僕には、とうてい耐えられないと思います。 「こんな、生存し続けるためだけに生きているような生活に、何の意味があるの?」とか、考えてしまいそう。 しかしながら、彼らからすれば、「生きるのに必要な行為」以外に、そんなに価値があるのか?という感じなのかもしれません。
「現代社会」に対して、「どうしてこんな世の中にしたんだよ……」と先人たちに文句のひとつも言いたい気分になることってありますよね。 でも、この話を読んでみると、現代の「文明社会」は、確かに、「子孫たちが『生存するための労働』に費やす時間を減らして、自由な時間をつくってやりたい」というご先祖たちの努力の賜物であるように感じられるのです。
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