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2008年03月15日(土) ■ |
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清水義範さんの「おわびの文書を書くコツ」 |
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『大人のための文章教室』(清水義範著・講談社現代新書)より。
(「謝罪文は誠実に長く書く」という項から)
【おわびの文章を書くのは気が重いものである。謝罪文だとか、始末書だとか、申し開きの書などを書く役がまわってくるのは、サラリーマンにとってちょっとした災難だと言っていいぐらいのものだ。 その上、謝罪文というのはなかなか難物なのだ。定型通りのそつのない謝罪文でいいかというと、それではどうもまずいのだ。 「今回、結果的に××様には多大なご迷惑をおかけすることになってしまいましたことを、心よりお詫び申し上げます。今後このようなことの二度とないように心がけてまいりますので、何卒お許し下さい。」 というような型通りの謝罪文なら、出さないほうがいいくらいである。かえってそれを読んでいると、怒りがぶり返してくるってことになりかねない。あやまらなければならないほどの非常事態に対して、型通りの儀礼ですまそうというのか、という不釣りあいが感じられるのだ。 これは私の個人的な意見だが、本当は謝罪文など書かないで、あやまりに行くべきだと思う。直接会って、事情を説明し、頭を下げてあやまるのだ。おわびの文章ですまそうというのが、そもそも心からあやまっているのではない証拠である。 しかしまあ、直接会いに行くことは不可能で、不十分ではあるが謝罪文を出すしかない場合もあるだろう。相手が多数であるとか、遠くに住んでいる、というような場合だ。謝罪文を出すしかないので、それを書く。 そのように謝罪文とはそもそも難しい事情含みなのである。だからそう簡単なものではない。 そこで、謝罪文を書くコツだが、それは、すべての事情を長々と書く、である。文書の長さで、深くおわびしたい気持である、ということを伝えるのだ。A4判の紙一枚の謝罪文なんてとんでもない。少なくとも三枚にはならなきゃいけない。
・この度、このような事態となってしまい、大変ご迷惑をおかけしました。 ・このようなことになってしまったのは、当方のこういうミスによるものです。 ・なぜそれが防げなかったかというと、たまたまこういう事情があったからです。 ・また、気のゆるみから、社内にこのような気運があったことも原因でした。 ・その結果、あのようなご迷惑をおかけしたことを心より反省しております。 ・以後、二度とこのようなことがないように、体制も整え、心構えしていく所存です。 ・何卒ご寛容の心をもって、今後ともよろしくおつきあい下さいますよう、衷心よりお願い申しあげます。 ・まことに申し訳ありませんでした。
というようなことを、全部さらけ出して長く書くのである。用語にはあまりこだわらなくていい。衷心より、がいいのか、なんて思うことはなくて、心から、とか、ひらに、などでもいいから、とにかく誠実に書くのだ。 事情を詳しく書くというのは、くどくどと言い訳を並べることになるのでは、と思う人がいるかもしれない。謝罪のはずなのに、弁明ばかり並べるのは失礼ではないかと。 確かに、言い訳を並べるのである。しかしその上で重要なのは、言い訳で押し切ろうとはしないことである。 つまり、次のような構造になっていなければならない。
(1)このような事情により、あんなことになってしまったのです。 (2)しかし、おこってしまった事態については全面的におわびをするばかりです。どうかお許し下さい。
(1)を長々と書くのだけれど、(2)が主眼の文章だというのを外してはいけない。 要するに、謝罪文の目的は、相手に許してもらうことなのだ。一応あやまっといたぞ、が目的ではない。 許してもらうために、(1)の弁明を誠実に長々と書くのであり、しかしあくまで心をこめて(2)の謝罪をしなければいけない。 会社のためにおわびの文書を書かなきゃいけないなんて、サラリーマンも因果な稼業だなあ、と思うかもしれない。だが、これはあやまるしかない、という事態はサラリーマンじゃなくたってあるのだ。私だって、これは詫び状を出すしかないな、と思う時がある。 そうなると、長い長い手紙を書く覚悟をして、じっくりと構成を考えるのである。】
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何年か前、某ベーカリーレストランからの「お詫びの葉書」を貰ったことがあります。 そのレストランは、食事の際にスタッフが「いろんな種類の焼きたてのパン」を持って各テーブルをまわってくれる、というのがセールスポイントなのですが、その日はものすごくお客さんが多く、また、オープンして間もない時期だったということもあってか、とにかく酷い状況だったんですよね。 料理が出てくるまでに1時間くらいかかったし、待てど暮らせど「焼きたて」どころか、冷えたパンの1個すら出てきません。とにかくすべてがうまく回転していなくて、厨房からは、怒鳴り声まで聞こえてきたのです。 それでもなんとか最後まで食事を終えて、僕と妻(当時はまだ結婚していなかった)は、その店の「アンケート用紙」を手に取り、その日のその店のサービスにいかに失望したかを書いて出てきました。 普段は、多少気にいらないことがあっても「いちいち文句言うほうがめんどくさい」と黙って出てしまうのですが、その店には何度か行っていて、けっこう良い店だとも思っていたので、その日感じた「失望」を書かずにはいられなかったのです。
1週間くらい後、アパートの郵便受けに、その店からの葉書が来ていました。内容はまさに「平身低頭のお詫び文書」。 そこには手書きで「あなたの大事な時間に不快な思いをさせてしまったこと」に対して、切々と謝罪の気持ちが書かれていたんですよね。 まあ、実際には、彼らの「努力」は、全く僕たちの心には響かなかったのですけど……
その「謝罪文」が、まさにこんな感じの文章だったなあ、と僕はこれを読みながら思い出したのです。 面識がないけれども謝らなければならない相手の場合、それまでの交情に訴えることもできないし、「形式的」にならざるをえないのは仕方ないですよね。 まあ、日頃のつき合いがある相手でも、「友達なんだから許してよ」というような馴れ馴れしい謝罪は、かえって逆効果になったりしがちではあるのですが。
ここで清水さんが書かれている「謝罪文のフォーマット」は、とても現実的かつ有用なものです。 僕たちは、他人からの謝罪文を読むとき、「そんなに長々と書かなくても」と考えがちなのですが、こういうのって、「こんなに長い手紙書くの大変だっただろうな……」と思わせるだけでも、それなりに効果があるのかもしれません。例のレストランから送られてきた「謝罪の葉書」に対しても、「あそこの店員さんやバイトの人たちは、あんなに働かされたり怒られたりした上に、こんな葉書まで書かされたなんてかわいそう……」と、ちょっと「同情」してしまいましたしね。その一方で、「どうせ偉い人に強制されて、嫌々書いているんだろうな」と白けた気持ちにもなったのですけど。 たぶん、「謝罪文」でいちばん大事なのは、「弁明はするべきだけれども、『だから自分は間違っていない』と開き直ってはいけない」ということなのでしょう。内心はどうあれ、こういうふうに「全面的に謝られる」場合、よっぽどのクレーマーでなければ、「尾を振る犬は打てぬ」というのが人情のはず。
とりあえず、この「謝罪文の書きかた」は、覚えておいて損はなさそうです。役立てる機会が無いほうが良いには決まっているのですが。
ところで、僕がその某ベーカリーレストランからの謝罪の葉書でかえって不快になった理由っていうのは、「一字一句がすべて同じ内容の葉書が、妻のところにも送られてきたこと」でした。 「実際はそういうもの」だというのはよくわかるんだけど、同席していた人たちに全く同じ内容の謝罪文では、「お手本通りの謝罪葉書をうんざりしながら書かされているバイトの人や若い店員のうんざりした表情」が、あまりにリアルすぎるのです。
こういうのって、わざわざアンケートに答えているんだから、内容を読んで多少なりとも「謝罪」の文章をアレンジしてあれば、受けた印象も違うんだろうけどねえ……
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