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2008年03月13日(木) ■ |
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堀井雄二さんが『ドラゴンクエスト』の戦闘に臨場感を出すために「工夫」したこと |
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『非属の才能』(山田玲司著・光文社新書)より。
【つい先日お会いした堀井雄二氏は、家庭用ゲーム機の性能がわずか8ビット(いまのゲーム機がスポーツカーだとすると、三輪車程度)だった時代に「ドラゴンクエスト」を生み出し、ゲームの世界に革命をもたらした人物だ。 堀井氏は、当時のゲーム作りはビジュアルでごまかせないぶん、なによりもアイデアが重要だと言っていた。 たとえば、残りの体力を示す数字(ヒットポイント)が敵から攻撃を受けるたびに振動し、ゼロに近づくにつれて赤みを増していくシステムは、どうすれば限られた容量のなかで戦闘に臨場感を出せるか、考えに考えて生まれたものだという。 つまり、情報が少なければ少ないほど、制約が多ければ多いほど想像力は豊かになると言っていい。】
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正直、この山田さんの文章の「結論」の部分、「つまり、情報が〜」の内容に関しては、必ずしもそうはいえないんじゃないか、とも感じたのですが、この堀井さんの話は、当時、リアルタイムで『ドラゴンクエスト』をやっていた僕にとってはすごく興味深い話でした。
現在、『ドラゴンクエスト』に慣れてしまったプレイヤーからすれば、『ドラクエ的な演出』である、「ダメージを受けたときの画面の揺れ」とか、「ヒットポイントの数字がゼロに近づくにつれて赤くなっていく」というようなシステムは、「ごく当たり前のこと」ですよね。 しかしながら、確かに、『ドラゴンクエスト』以前のゲーム、例えば名作『Wizardry』や『Ultima』シリーズなどでは、こんな「演出」は存在していなかったのです。 逆に、現在主流の「高性能ゲーム機」であるプレイステーション3やWiiでゲームをつくるとすれば、「ダメージを受けているプレイヤーの姿」を、目に見えるようにリアルに画面上に描くことだって可能でしょうし、「BGMを変える」というような手もありそうです。 ただ、そんなふうに「見た目の細かいリアルさを追求すること」が、「ゲームを面白くすること」に繋がるかというと、必ずしもそうではないのです。 もちろん、堀井さんだって、ファミコンのカートリッジにもっと容量があれば、もっと「リアリティのある(ビジュアルやサウンドをふんだんに使った)ピンチの演出」を試みたかもしれません。 でも、結局のところ、制約が大きかったからこそ、「いかにシンプルかつ効果的に『危機』をプレイヤーに伝えるか」という試行錯誤がなされ、最新のシリーズまで続く、「戦闘時の演出」が完成したのです。 現在も『ドラゴンクエスト』の戦闘シーンの基本があまり変わらないというのは、「制約があったからこそ磨きぬかれたもの」だったからなのでしょう。 そもそも、『ドラゴンクエスト』の戦闘シーンも、その前の時代に開発された『Wizardry』の「制約が多かったがために洗練されつくしたシステム」を大いに参考にしたものですしね。
『ドラゴンクエスト』の開発は本当に「容量との戦い」だったらしくて、堀井さんは、メッセージ関連の容量を削るため、「ROMの中にすべてのカタカナを搭載するのではなく、モンスター名や地名に使われる最低限のものしか用意しなかった」そうです。 あの『ドラクエ』の村人たちの味のある会話の数々も、そんな制限のなかから生まれたものなのです。
それにしても、こうしてあらためて言われてみると、『ドラゴンクエスト』の戦闘シーンの「演出」というのは、簡単に思いつきそうにみえて、ものすごい「工夫」の賜物なのだということがよくわかります。 そういうのをゲームで遊んでいる途中のプレイヤーには全然意識させないところが、堀井雄二さん、あるいは『ドラゴンクエスト』の凄さでもあるのですけど。
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