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2007年12月19日(水) ■ |
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「角居君、”普通”って何だ?」 |
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『挑戦!競馬革命』(角居勝彦著・宝島社新書)より。
(今年の日本ダービーを制した牝馬・ウオッカを管理している角居勝彦調教師の著書より)
【話は前後しますが、アグネスワールドの遠征前、美浦トレーニングセンターの検疫厩舎に入ることになり、私はそこにつき添っていました。検疫中のため、ほかの馬と分けなければならず、夜中の12時ぐらいに調教を始め、4時か5時には終わらせていました。 通常の調教時間は早朝6時〜7時から始まります。暇を持て余したため、美浦のトップ(調教師)である藤澤和雄先生の厩舎を覗かせてもらいました。 そのとき、藤澤先生に「暇だったら乗ってみるか?」と声を掛けてもらいました。跨った馬はどれも力強く、常足だけでもぞっとするパワフルさです。 当時、ほとんどの厩舎で、普段の調教は”20−20”が普通だと思われていました。”20−20”とは、坂路で1ハロン(200メートル)を20秒ずつで乗り、時にはしまい(最後の1ハロン)を16〜17秒程度に強くする、というものです。調教師から「普通に流して」と言われれば当然のように”20−20”にしたものです。 ところが藤澤厩舎では、普段の調教から”15−15”の時計で乗られ、週に2回ほど”15−15”より強い調教が入ります。 何の疑問も持たずに、 「普通調教が強いですね。毎日、こういう時計ですか?」と聞きました。 すると即座に「角居君、”普通”って何だ?」と。 考えてみれば、誰が決めたかわからないまま、普通だと思われていたことを、誰もが疑問を持たずに行っていたわけです。
私自身、”普通でいい”という指示があると、自分なりの感覚でコースを走らせていましたが、藤澤先生は、それぞれの馬の状態や性格に合わせた調教メニューを細かく考えていました。同じ「普通」でも、未勝利馬とオープン馬では中身がまったく違うのです。 人間が思う「普通」が、実は馬にとっては普通ではない。人間の感覚でアバウトに行われていることが間違いで、馬ごとに変化させなければならない、というのです。 固定観念が覆される一言で、衝撃的な会話でした。】
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この「”普通”って何だ?」という問いに、日本を代表する名調教師・藤澤和雄の凄さが集約されていると言ってもいいのかもしれません。 僕たちはふだん、何気なく「普通にやっといて」なんて頼んだり頼まれたりしていますし、仕事を終えたあとも「まあ、普通にこなせたから問題ないだろう」と安心したり、「普通にやっているだけなのに、なんで文句言われなきゃならないんだ……」なんて怒ったりしていますよね。 でも、あらためて、「じゃあ、その『普通』って具体的にはどういうこと?どのくらいの質で、どのくらいの量なの?」なんて聞かれて、キチンとそれを言葉にすることができるでしょうか? 僕にはそれは無理だなあ、と、これを読みながら考え込んでしまいました。 自分でもよくわからない曖昧なものを「このくらいが『普通』のはずだから」ということで納得してしまうのは、僕の悪い癖でもあるんですよね。 「みんながこのくらいやっているから」「それが今までの『常識』だから」というような理由で、「普通」に対して何の疑問も持たなければ、当然のことながら、「普通」以上の仕事はできません。 そこで、「普通」に妥協しないからこそ、人より優れた結果を残すことができるのです。 まあ、「普通」じゃないことをやれば、失敗することもあるでしょうし、その場合は「なんでそんな常識はずれのことを!」なんて批判を浴びることも多いので、責任がある立場になればなるほど、「普通」から外れるのは難しいところもあるんでしょうけど。 ウオッカだって、牡馬にたった1頭混じって挑戦した日本ダービーで圧勝できたからこそ「偉業」だとみんな評価したわけで、もし惨敗していたら、「だからオークスに行けばよかったのに……」と、批判する人もたくさんいたはずです。
頂点に立つっていうのは、並大抵の努力と覚悟じゃダメなんだなあ、と思い知らされる話ではあります。 常人には、「普通」を確実に維持していくことすら、けっこう大変だったりもするのですけどね……
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