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2007年09月25日(火) ■ |
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日本に現存している「世界最古の企業」 |
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『ダ・カーポ』614号(マガジンハウス)の特集記事「とてつもない日本・世界一の技術!」より。
(対談「日本人はなぜ、技術者を尊重するのか?」の一部。出席者は赤池学さん(科学技術ジャーナリスト・著書に『自然に学ぶものづくり』)、野村進さん(ノンフィクションライター・著書に『コリアン世界の旅』)、橋本克彦さん(ノンフィクションライター・著書に『農が壊れる―われらの心もまた』)のお三方です。)
【司会者:日本人は「職人」や「匠」といった言葉が大好きで、技術者に対して特別の感情をもっています。日本人は、わが国の技術文化に誇りをもっていますね。なぜ、このような技術文化をもつようになったのか、考えてみたいと思います。
野村進:日本人にとって、モノ作りを大事にすること、技術を継承することを尊いと考える価値観は当たり前のように思われます。ですが、日本以外のアジアに行ってみると、必ずしもそうではないんですね。モノ作りを尊いと考えるのはむしろまれなことで、自分の手を汚して何かを作ることを、それほど尊重しない場合が多いのです。 おもしろい例で言いますと、饅頭作って何百年という老舗が日本にはありますね。そのことを日本人は誇りに考えます。ところが、お隣の韓国では饅頭100年作ってもほとんど尊敬されないでしょう。饅頭で繁盛したら、次により高いステータスに向かう傾向があるんです。饅頭作って何百年が評価される国って、世界的に見てもまれなんじゃないかと思います。 僕が『千年、働いてきました』(角川oneテーマ21)で書いたことは、日本には驚くほど老舗企業が多いということ。大阪には、飛鳥時代から寺社仏閣を建ててきた金剛組という創業1400年以上の”世界最古の企業”があります。他にも創業1300年の北陸の旅館、創業1200年以上の京都の和菓子屋などの老舗もある。日本には、創業100年以上の企業が10万以上あると推定されています。でも、日本以外のアジアでは、100年以上続いている店舗や企業はめったにない。韓国には一軒もありません。それだけ日本は、技術を継承しようとすることに価値を置いているのです。
司会者:野村さんは『千年、働いてきました』の中で、「職人のアジア」に対して、華僑などの「商人のアジア」があると書かれていました。日本はアジアの中でも稀有な「職人のアジア」の国であるということですね。
野村:「職人のアジア、商人のアジア」と二分法にしてしまいましたが、もしかしたら緒戦半島は「文人のアジア」かもしれませんね。儒教を説く儒者が、いちばん尊敬される国ですから。それは「商人のアジア」とも違います。 それに比べると日本は、戦国武将が自分でもっこを担いで城を造ったりする国で、やはりだいぶ気風が違う。中国の皇帝が城造りに汗を流したり、朝鮮の両班(ヤンバン・特権支配階級)がモノ作りに励むなんてこと、ありえませんからね。
(中略)
野村:僕は日本の技術者の取材をしていて、多神教というか、日本型のアニミズム(万物に神が宿っているという考え方、信仰)をつくづく感じましたね。技術者は金属を擬人化するわけですよ。「金箔は人の心を読む」とか、「金属の方から自分の特質を訴えかけてくる」とかね。
橋本克彦:昔の人はモノとお話できたんでしょ(笑)。
野村:考えてみれば針供養なんかも日本ならではの風習かもしれませんね。さんざん使った針を供養するというその根っこには、日本型のアニミズムがあるように思います。
橋本:鉄とお話するというのも、鉄の精霊とお話しているのかもしれない。それに、仏像を彫る人は、木の中に埋もれているものをかき分けて仏像を出すんだって言うわけですね。大木を見て仏像を感じられるかどうかというのは、相当アニミズムっぽいよね。
(中略)
野村:徳川の体制が重要なポイントではないかと思うんです。徳川も形式的には儒教を取り入れて縛りをかけていたんですが、末端の技術に関しては非常に自由だったんですね。それが意外にたくましく今日まで生き延びている。 江戸時代、静岡は各地の大工さんや漆職人、指物師なんかを集めるわけです。その伝統が今も生きていて、赤池さんのご本によると模型会社の70%が静岡にある。また静岡に村上開明堂という自動車のバックミラーを日本全体の約6割作っている会社があるんですが、ここはもともと鏡台を作っていたんですね実は鏡台も静岡の地場産業で、日本全体の約6割を静岡で作っていて、これも江戸時代からの技術の蓄積によるものです。鏡台がバックミラーやサイドミラーになるのですから、技術の継承や発展というのは奥が深くておもしろいですね。
司会者:日本の技術の奥深さは、先端技術と伝統技術が融合している点にあるように思いますね。携帯電話の中に金箔の技術が生かされていたり……。
赤池学:伝統工芸の世界も、立ち上がりの頃は絶対にハイテクだったんですよ。今だって超ハイテクの伝統工芸の漆器だってあるわけでしょ。伝統と呼ばれるモノの中に先端があるし、絶えずフロントランナーであろうとするモノ作りには必ず突出した技術があるわけで、先端同士というのは自由に無理なくつながっていく。最先端のモノは科学的合理的に設計されているわけですから。
野村:ある老舗の製造業の社長から聞いたんですが、中国がダメなのは技術がタテにもヨコにもつながらないからだと言うのです。技術を独り占めしてしまって、それを売り物にして渡り歩くわけです。日本の場合、技術がタテにつながる伝統があるし、ヨコにつながる文化があるんですね。技術はつながっていかないところでは発達しないんだよと言ってましたが、説得力がありましたね。】
参考リンク:社寺建築の『金剛組』
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この『ダ・カーポ』の記事そのものが、「最近あんまり元気のない日本への応援」という論調でしたので、まあ、この対談の話を読んで、素直に「日本の技術って最高!」「中国はやっぱりダメ!」なんて反応するのもいかがなものか、とは思うんですけどね。 『とてつもない日本』という新書を書いた麻生さんも福田さんに負けちゃいましたし。 この対談のなかでは、「徳川時代の功績」が語られていますが、その時代に実際に生きていた人たちにとっては、「自分の『家業』を継ぐしかなかった時代」だっというのもひとつの「歴史的事実」だったはず。それは、技術の継承という意味ではメリットが大きかったのかもしれませんが、もし自分がそんな時代に生きていたら、やっぱりちょっと「本当は違う仕事をやりたかったなあ」と切実に感じていたのではないかと思います。 いや、「職業選択の自由」が保障されている現代の日本に生きていても、そんなふうに感じることはありますしね。
まあ、あまりに「ニッポンバンザイ!」みたいな記事なので、ひねくれた僕としては、こんなふうに懐疑的な見解を述べてしまいたくもなるのですが、日本という国の技術や文化に、それなりの「重み」があるというのは、まぎれもない事実です。 数日前までカナダに行っていたのですが、カナダというのは、1867年に建国された国で、歴史はまだ140年ほど。各地で、「カナダの歴史的遺物」や「重要文化財」などを観たのですが、それらは軒並み「百数十年の歴史を持っている」ものでした。 日本人であり、それこそ「数百年単位の文化財」をたくさん見てきた僕としては、正直、「そんなにもてはやすほど古くないよね、これ……」などと、少しだけガッカリしてしまったこともあったんですよね。もちろん、カナダにもすばらしい文化と自然があって、非常に楽しい旅ではあったのですけど。 現地で案内してくれたガイドさんによると、「カナダ人には、日本という国の『歴史』に対して、とても興味と敬意を持っている人が多いんですよ」とのことでした。そりゃあ、「最古のホテル」が百数十年前に開業、なんて国の人が、「創業1300年の北陸の旅館」なんて話を聞けば、それだけで圧倒されてしまうのでしょう。
もちろん、「歴史と伝統がある」というのは、僕を含む現代の日本人の功績によるものではないので、それだけで他国をバカにしてはならないことではあるのですが、やはりそこには技術やノウハウの積み重ねがあることは間違いありません。そして、この対談のなかで赤池学さんが書かれているように、「生き残ってきた技術」というのは、実際は、「技術を守る」だけではなく、「新しいものに挑戦し、それを自分のものにしていく」という歴史の積み重ねなのです。 「村上開明堂」が、今までの「伝統」にこだわるあまり、「車のバックミラー造りなんてウチの仕事じゃない!」という姿勢の企業だったら、どんなにすぐれた技術を持っていても、すでに歴史の波にのみこまれてしまっているはず。逆に、そうやって「伝統」にこだわるあまり、失われてしまったすばらしい技術というのも、日本にはたくさんあるのだと思います。 企業として生き残りながら「伝統を守る」っていうのは、ただひたすら同じことだけをやり続けていればいいってわけじゃないのです。
それにしても、「饅頭作って何百年が評価される国って、世界的に見てもまれ」というのは、あらためて言われてみればその通りなのです。客観的にみれば、「饅頭で成功したら、他のものに挑戦する」というほうが、はるかに面白そうですしね。 そういう意味では、日本の老舗企業というのは、他国からみると、ものすごく「気持ち悪い」存在なのかもしれませんね。
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