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2007年09月05日(水)
現存する「日本でもっとも古い週刊誌」とは?

『麗しき男性誌』(斎藤美奈子著・文春文庫)より。

(『週刊東洋経済』を紹介した項の一部です)

【ビジネスと関係のない世界にいる私などはとんと無縁だが、世の中には経済誌っちゅうものがあるのである。「日経ビジネス」「週刊ダイヤモンド」「週刊エコノミスト」「週刊東洋経済」のたぐいである。サイズはいずれも「アエラ」と同じで一般週刊誌よりやや大きい。週刊で発行されている点も同じ。ただしページ数は「アエラ」よりも若干多めで、お値段も600円前後と、週刊誌にしてはお高めである。

(中略)

 とはいえ経済誌はスゴイ。なにより驚くべきは、歴史と伝統の重みである。
 比較的新しい「日経ビジネス」でさえ、1969年の創刊である。高度経済成長時代の末期というか最盛期。翌年の大阪万博を間近に控え、日本中が好景気に浮かれまくっていたころである。
 しかし、経済誌の世界では、戦後生まれの雑誌など若造中の若造なのだ。
「週刊エコノミスト」が創刊されたのは大正十二(1923)年、「週刊ダイヤモンド」が創刊されたのは大正二(1913)年である。第一次世界大戦による空前の大戦景気を前に、やはり日本に活気があった時代である。経済誌は経済成長の機運に乗って世に出てくるものなのだろうか。
 それで終わりかと思ったら、さらなる長老格の雑誌があった。「週刊東洋経済」にいたっては19世紀のお生まれ。創刊されたのは明治二十八(1895)年である。明治二十八年っていやあ、日清戦争が終わって、下関条約が調印された年ですぜ。
 もっとも、この時代に経済誌が登場してきたものむべなるかなというべきだろう。明治二十年代は日本資本主義の成立期、最初の企業勃興期、もっとわかりやすくいえば産業革命の時代だった。日清戦争後の鉄道敷設ブーム、繊維産業の興隆。造船業や海運業の振興策に政府は乗りだし、明治三十年には金本位制が確立する。日本経済の足場はこのころ固まった。経済誌は近代史とともにあり。そういえばあの石橋湛山がしばらく編集長を務めていたのも「週刊東洋経済」だったっけ。現存するもっとも古い週刊誌がこれだというのもうなずける。】

参考リンク:週刊東洋経済

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 ちなみに、『文藝春秋』(週刊誌ではありませんけど)が創刊されたのが大正十一(1922)年。経済誌というのは、本当に息の長い雑誌が多いのだなあ、と驚いてしまいます。僕も物心ついてから30年くらいの間に、たくさんの雑誌の創刊・廃刊を見てきたのですが、ずっと続いていた「週刊誌」って、『週刊少年ジャンプ』『マガジン』『サンデー』『チャンピオン』のような漫画雑誌と『週刊現代』『文春』『朝日』のような「総合誌」くらいのような印象があります。ゲーム雑誌とかマイコン(パソコン)雑誌なんて、本当に栄枯盛衰が激しいですから。

 「経済誌」というのは、「時代の最先端」を追っている専門的な雑誌というイメージがあるので、コンピューター雑誌みたいに入れ替わりが激しいのだろうと思いきや、実際には「老舗」がかなり残っているジャンルみたいです。
 今週号(2007年9月8日号)の『週刊東洋経済』の特集記事は「老後不安大国」だそうで、こういう「経済誌」というのは、「経済そのもの」というよりは、「ビジネスマンの生活情報誌」みたいものなのかもしれません。そういえば、「プレジデント」なんて、一時期は「ビジネス雑誌」というよりは、「歴史マニアの雑誌」みたいでしたしね。
 しかし、「老後の不安」を特集している雑誌が、実はこんなに「高齢」だったなんて、読者はみんな知っているのだろうか……

 100年以上前の「経済誌」というのは、いったいどんな感じだったのでしょうね。その時代から「経済」という言葉や概念があったということに、僕はちょっと驚いてしまうのです。
 春画とか、かわら版はその前の時代からあったのですから、人間が「知りたいこと」は、まず「色」「世間の出来事や他人の噂話」、その次に来るのが「金儲けの方法」ということなのかもしれません。

 正直、いったい誰がこういう雑誌を読み続け、支えているのか直僕にはイメージがわかないんですけどね。「週刊東洋経済」を多くの人が愛読している業界、なんていうのがあるのかなあ。
 世の中には、「実際に読んでいる人を見たことないけど、ずっと本屋に並んでいる雑誌」って、けっこうあるような気がするんですよね。