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2007年09月01日(土)
大ロングセラーになった「絶対に売れそうもない歴史小説」

『本の雑誌』2007年9月号(本の雑誌社)の「編集生活60年――出版芸術社・原田裕氏インタビュー」(聞き手・構成/新保博久)より。

(「戦後の一期生」として講談社に入社以来、60年に及ぶキャリアを持つ編集者(現・出版芸術社社長)・原田裕さんへのインタビューの一部です)

【原田裕:昭和28年に出版部に移ったらすぐに、山岡荘八さんから「ぜひ頼みがあるんだ」って。山岡さんは雑誌のころ担当して、さんざんお世話になったというか、いっぱい飲ましてもらった人でね。あのころ原稿もらってくると、編集部みんなで回し読みして感想を書くわけですよ、匿名でね。そこであんまり評判が悪いと書き直しを頼むか、突っ返すしかない。それが一番多かったのが山岡さんだよ。作中人物がすぐ一席弁じたりして、弱ったなあ、先生またお説教書いてきちゃったよって(笑)。でも、あのころご馳走してくれるって大変なことだった。金があっても食べるものがないんだからさ。その山岡さんが三社連合(北海道・中日・西日本新聞)で二年ぐらい連載していて、評判がいいからもっと続けてくれと言われている。これを本にしてくれないかと。何ですかって聞いたら『徳川家康』だって、う〜んと唸っちゃいますよね。

新保博久:大ロングセラーになったじゃないですか。

原田:結果的にはね。だけどそのころ家康なんて、日本じゅう誰も好きな人はいないわけ。狸親父っていわれてて。豊臣秀吉なら売れる。忠臣蔵でも大石内蔵助だから。家康、吉良上野介なんて敵役のやつは商売にならないんですよ。でも山岡さんは、俺はこれだけ家康のことを勉強したんだって、蔵の中に本がぎっしりと。だけど先生これ全部読んだのって聞いたら、「それは秘密だ」(笑)。それでも二年分くらいの連載の切抜きを風呂敷に包んで、とにかく読んでみてくれって。今度はどう言って断ろうかと思案しながら社に持って帰って読み始めたら、おや意外に面白いなと。だいぶ読んだなあと思って窓の外を見たら、木が見えるんでびっくりした。まだ夜の9時くらいだろうにおかしいなあ、江戸時代にタイムスリップしたかと思ったら、朝になってて音羽の杜の木が見えてたんだ。それくらい夢中になったわけで、これは何とか出さなきゃいけないなと。
 しかしあのころコピーがないからね、コピーをとってみんなに読ませて、企画会議の根回しすることが出来ない。しょうがないから、いかに面白いかって熱弁をふるうしかないんだけど、シーンとしてるわけ。「何が徳川家康だ。バカか」って。でも、人の悪口ばかり言ってる原田があれだけ褒めるんだから少し聞く価値あるんじゃないかって、即座に却下はされなかった。そこでまた山岡さんところへ行って「印税全額もらおうとは思わないでくれ」と言うと、「いいよ印税なんかいらないよ。出してくれれば」って、そういうわけにもいかない。だけど宣伝しないとこれは売れない、普通なら250円くらいで売れるところを270円にする、印税も山岡さんには230円計算で我慢してもらって、浮いた40円分を宣伝費にしようじゃないかと。だから最初から『徳川家康』一本で半五段の新聞広告を出した。それで初版7千くらいが1万、1万2千と、ちびちびと売り上げていったんです。】

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 『豊臣秀長』のような「有名人の親族」や『明智光秀』のような「敵役」、『大友宗麟』のような「ローカル系」までが歴史小説の「主人公」になってしまう現在の歴史小説界からすると、『徳川家康』なんて、「ど真ん中のストレート」のようにしか思えません。
 でも、この原田さんのインタビューを読んでみると、日本の歴史小説の市場では、「『徳川家康』なんて売れるわけがない」という時代もあったということがわかります。そんな中で『家康』を書いた山岡さんは、確かに「先見の明」があったのでしょう。

 このインタビューの解説によると、【『徳川家康』が経営者のバイブルなどと言われて急激に売り上げを伸ばしたのは、出版から10年近くたった1962年ごろである。結局「各版合わせると4000万部という超ベストセラー」(『クロニック講談社の80年』1990)となった】そうで、実際は、こうして原田さんたちが頑張って宣伝しても、10年近くは「そこそこのヒット作」に過ぎなかったのです。そういえば、『徳川家康』は、僕が子供のころにNHKの大河ドラマの原作としてブームになったりもしていたんですよね。火がつくのに時間はかかったけれど、ものすごく息の長いロングセラーとなった作品なのです。

 しかし、この原田さんのインタビューを読んでいると、「お説教ばっかり書いてしまう先生」が書いた「人気がないどころか嫌われている歴史上の人物を主人公にした」「ものすごく長い」小説を出版するというのは、ものすごい「冒険」だっただろうなあ、という気がします。いくら「実際に読んでみて面白かった」としても、ここまで売れるとは、出版社にとっても、作者の山岡荘八さんにとっても「嬉しい誤算」だったに違いありません。
 いや、本が売れただけではなくて、この小説は、「徳川家康という歴史上の人物の再評価」にもつながりました。
 「ずるがしこい狸親父」から、「乱世に平和をもたらした忍耐の人」へ。
 さすがに、NHKの大河ドラマの家康には、僕も子供心に「こんな良い人が天下を獲れるわけないだろ……」とつっこんでしまいましたけど。

 講談社の文庫版で26巻にもなる、あの長い長い小説を「読破」した人がどのくらいいたかは、ちょっと疑問でもあるんですけどね。うちにも「1巻」だけが3冊くらいあるんだよなあ、そういえば……