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2007年08月16日(木)
西原理恵子さんと『100万回生きたねこ』

『ダ・ヴィンチ』2007年9月号(メディアファクトリー)の特集記事「悲しみを知った夜は『100万回生きたねこ』を読み返す」より。

(西原理恵子さんへのインタビュー「『100万回生きたねこ』は、”負のスパイラル”を絶つ話でもあるんです」の一部です)

【西原さんが『100万回生きたねこ』と出会ったのは「小6か中1のときだと思う」。場所は、地元の図書館だった。
「まわりには、目が合っただけで殴りかかってくるような、いじわるな子供ばっかりで。だからいつも学校の図書館や市民図書館にいましたね。現実にはいやなことばっかりなんだから、本にだっていやなことばっかりあってほしかったのに、絵本にはいい子供ばっかり出てくる。『十五少年漂流記』とか『ロビンソン・クルーソー』を読んでも”全然漂流してない! うちのほうがよっぽど漂流してるよ!”って(笑)。
 でも『100万回生きたねこ』は、すとん、と落ちた。ぜんぶ”だいきらい”で”しぬのなんか へいきだったのです”っていうのを見て、ほんとそうよね!って、すごく共感して、ひきこまれました。
 けれど当時、終わりのほうで”とらねこに家族ができて幸せになる”という部分だけは、理解できなかったのだという。
「これは何?って。自分の環境と照らし合わせて、家族を持つのは不幸になることだと思っていた。その分働いてお金を稼がなくてはいけないわけだから、子供は足手まといで疎んじられる存在なはずだ、と。うちはお金がなくて、親がいやなケンカばっかりしていたんですよ」
 ようやくラストに納得したのは、
「やっぱり子供を産んでから。子供は、負担になるものじゃないんだってことがわかったんです」
 とらねこが何度も死んでは生まれ変わる「輪廻」の部分については、出産後よく考えるようになったのだという。
「息子や娘を見て、この子はどこから来たのかな? どこへ行くのかな?と。佐野さんがこの絵本を書いたとき、もうお子さんがいたでしょう。子供を産んだ人は、輪廻転生のことを考えるようになるのかなぁと思った」
 今年の春、西原さんはパートナーであり、子供たちの父親であるジャーナリストの鴨志田穣さんを腎臓がんで亡くした。葬儀のとき、西原さんの友人の医師・高須克弥さんが、こう言ってくれたのだという。
「息子たちを指差して『人間は遺伝子の船。あんなに新しい乗り物を用意してもらった鴨志田さんは、本当に幸せだった。新しい船に乗り換えたのだから古い船のことはもう忘れていいんだよ』って。実際、息子はささいなクセが、どんどん父親に似てきている」

 そして、鴨志田さんの生き方は、『100万回〜』のラストとも重なる気がするのだという。
「とらねこが”負のスパイラル”を絶って死んでいった、とも読めるんですよね」
 アルコール依存症だった鴨志田さん。一度は離婚して家を出たが、施設に入り、克服。亡くなるまでの半年間はもう一度、西原さんと子供たちと共に暮らすことができた。
「家に戻ってきたときは、『子供に渡すことなく自分の代で、アルコール依存症のスパイラルを絶つことができた』ってすごく喜んでいましたね。ちゃんと人として死ねることがうれしいって。鴨志田の親はアルコール依存症だったから。負のスパイラルについては、ふたりでよく話し合っていた。生い立ちが貧しいっていう自覚がお互いにあって。また貧困家庭を作ってしまうんじゃないか、と私もずっと心配だった。だから、とにかく仕事をしてお金を稼ごう、とずっと思っていた」】

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 佐野洋子さんの絵本『100万回生きたねこ』は、今年で世に出てから30周年を迎えたのだそうです。『ダ・ヴィンチ』のこの号では、『100万回生きたねこ』を愛読しているたくさんの人々からのメッセージが寄せられているのですが、なかでもこの西原理恵子さんのインタビューは、とても印象的なものでした。この西原さんの話では、『100万回生きたねこ』という作品への想いというよりも、この絵本で描かれている「家族」とか「輪廻」についての西原さんの現在の気持ちが語られているのです。

 僕は西原さんの『毎日かあさん』などの「家族モノ」の著作から、西原さんは昔から面倒見がよくて子供好きな人だったのではないか、というイメージを持っていたのですけど、このインタビューのなかで、西原さんは「家族を持つのは不幸になることだと思っていた」と告白されています。そして、子供のころ貧しかったがために、売れっ子になってからでさえ、自分、そして自分の家族が「『負のスパイラル』に陥るのではないか?」と苦しんでいたということも。
 
 子供を持たない僕は、社会の中で生きていて、心のなかで、「そんなに『子供』とか『家族』って立派なものなの?」と考えることが多いのです。傍からみれば、「子供のため」「家族のため」という錦の御旗を掲げて自分のワガママを正当化しているだけのように見える人って、けっこういますしね。
 しかしながら、実際問題として、ごく普通の才能しかないひとりの人間として、自分が後世に残せる可能性があるものは「遺伝子」くらいしかないのかな、と感じることもあるのです。
 世間には、あの村上春樹さんに対して、「でも、村上さんには『子供』がいない」なんて憐れむ人だっているくらいですし。
 村上春樹の小説という『子供』は、凡百の人間の子供よりもはるかに立派な「遺伝子の船」なのではないかと思うのですけど、そういう僕の考えは、世の中の「共通認識」とは程遠いようです。

 僕はこの鴨志田さんの【「子供に渡すことなく自分の代で、アルコール依存症のスパイラルを絶つことができた」】という言葉に対して、「でも、子供たちは、将来アルコール依存症になってしまうかも……」などと、揚げ足をとってみたくなるのですが、そんなことはたぶん、鴨志田さん本人も百も承知なはず。アルコール依存っていうのは、そんなに簡単な病気じゃないので。たぶん、この鴨志田さんの言葉は「確信」というよりは、「祈り」みたいなものだったのでしょうね。
 それでも、「負のスパイラルを絶つ」という自分の「役割」を果たした鴨志田さんは、やっぱり、幸せに死ぬことができたのかもしれないな、とも感じるのです。

 僕にも、そんな心境になれる日が、いつか来るのでしょうか?
 100万回生きても、わからないような気もするんだよなあ……