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2007年08月14日(火) ■ |
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スピルバーグ監督が「いままででいちばん不安になった映画」 |
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『週刊ファミ通』(エンターブレイン)2007/8/17号の映画『トランスフォーマー』の紹介記事より。
(製作総指揮・スティーブン・スピルバーグさんへのインタビューの一部です)
【インタビュアー:マイケル・ベイを(『トランスフォーマー』の)監督に選んだのはなぜですか?
スティーブン・スピルバーグ:彼は僕とはまったくタイプの異なる監督で、この情報化社会の申し子。マイケルがワンフレームに盛り込む情報はハンパじゃないよ。この映画はそういうタッチのほうが合っていると思って彼に白羽の矢を立てたんだ。僕は昔気質の監督で、いわゆる新聞記者。マイケルはネットのブロガーみたいな感じだ。
インタビュアー:今度はあなたのことを教えてください。いまでも第一線で映画を作れるそのエネルギーの源はどこからくるの?
スピルバーグ:それは失敗に対する恐怖心だよ。いつか失敗するんじゃないかとビクビクしていて、それが力に変換されている。新作にとりかかるときはいまでもそう。これまでのキャリアのなかでやったことがあるシーンだとそれほどでもないんだけど、初めてだったりすると、すごく心配になってしまうんだ。でも、不思議なもので、不安なときのほうがいい映画ができるみたいでね。
インタビュアー:じゃあ、いままででいちばん不安になった映画は?
スピルバーグ:それは『シンドラーのリスト』だね。あれこそ僕の人生のなかでもっともナーバスになった映画だよ。
インタビュアー:でも、それで初めてのオスカー監督賞を取りましたね。
スピルバーグ:うん。で、ノミネートされ、オスカーを取れなかったらどうしようと、またナーバスになった(笑)。】
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1946年生まれのスピルバーグ監督も、もう60歳。『E.T.』が1982年ですから、長い間ヒットメーカーとして映画界を支えているのですね。僕も一時期は、「またスピルバーグかよ!」と感じることが多かったのですが、あらためて考えてみると、これだけの作品と収益をもたらした映画監督というのは、まさに「空前絶後」だと思います。 それと同時に、僕が子供のころは「粗製濫造ばかりしている若造」なんて批判されていた人が、いまや立派な「権威」になっていて、監督を選ぶ立場になっているというのは非常に感慨深いものもあるのです。
このインタビューで、スピルバーグ監督が映画作りのエネルギーの源を「失敗への恐怖心」だと語っていたのは、僕にとって非常に意外な気がしました。一般的な感覚で言えば、そういう「恐怖心」というのは、ネガティブな感情であり、あまり好ましいイメージではないはずです。でも、スピルバーグ監督は「不安なときのほうがいい映画ができる」と語っています。巨大なお金が動く映画界で生きていくには、そのくらいの「繊細さ」と「大胆さ」を併せ持っていないとダメなのかもしれません。ほんと、よくそんなプレッシャーのなか、こんなに長い間第一線で活躍していられるよなあ、と感心するばかりです。
ここでスピルバーグ監督が「いちばん不安になった映画」として、『シンドラーのリスト』と挙げていたのは、僕にとっては頷ける話ではありました。興行的には、「スピルバーグ作品のなかでもっとも成功した映画のひとつ」とは言いがたいのですが、ロシア系ユダヤ移民の3代目であるスピルバーグ監督にとって、ナチスのホロコーストを題材にした映画を作るというのは、やはり、ナーバスにならずにはいられないことだったのでしょう。 そして、監督自身も、それを自分が作るのであれば、「歴史的な名作」にしなければ、という想いがあったようです。当時は、「『シンドラーのリスト』は、スピルバーグ監督が、『オスカー狙い』で作った映画」なんていう話もささやかれていた記憶がありますし。
まあ、「オスカーを取れるんじゃないかと期待した」のではなくて、【「オスカーを取れなかったらどうしようと、またナーバスになった」】なんていう話からすると、御本人はものすごく自信があったのだろうなあ、とは思うのですけどね。
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