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2007年08月10日(金) ■ |
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「ケツ割るんやない。生きていくんや」 |
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『おちおち死んでられまへん〜斬られ役ハリウッドへ行く』(福本清三・小田豊二共著・集英社文庫)より。
(小田豊二さんの「文庫版あとがき」の一部です)
【福本さんは、昭和33年、中学を卒業すると、兵庫県の香住から京都に働きに出てきた。そして、何をするところかわからないまま、東映撮影所を紹介され、大部屋俳優になった。いや、大部屋俳優という仕事にありついたという方が正確かもしれない。だから、俳優になるつもりなど、米粒ほども思っていなかったのである。 以後、派手なパフォーマンスを一切拒み、50年にわたって、ただただ与えられた仕事を懸命にこなしてきた。「斬られ役」がその日、その日の「仕事」だったのである。 つまり、福本さんが若い頃から一番大切にしてきたのは、決して俳優として有名になることではなく、「生きていくこと」だったのだ。 どんな仕事でも、田舎から出てきた少年が自活できるまでになるには、時間がかかる。それは「金の卵」と呼ばれて、集団就職で都会に出てきた少年たちの誰もが味わった苦労であった。 やがて、子供が生まれ、生きていくのが大変で、俳優を辞め、ほかの安定した職業につこうと思ったこともあった。その時、共働きで家計を賄っていた奥さんの雅子さんが、こう言った。 「あんた、何言うとんの。私が苦労を苦労と思わんでこれたのは、あんたが俳優さんだからやないの。そんなに勝手に弱音を吐くんやったら、私の青春返して!」 このひと言がなかったら、いまの自分はいなかった、と福本さんは述懐する。まさに、夫婦で必死にここまで生きてきた。 だからこそ、福本さんは仕事を失う「定年後」が心配だったのである。 だが、それは福本さんの杞憂であった。 人は、そう簡単に一生懸命生きてきた人を見捨てやしない。なぜなら、福本さんの心のなかに、「自分のためでなく、人のために、会社のためにまだまだ役立ちたい」という強い希望があることを、東映も、昔の仲間たちも知っているからだ。 そして何より、福本さんは人に負けない「技術」があった。 その「技術」を人のために役立てることで、これからの人生を生きていってほしいとはじまったのが、東映太秦映画村での「福本清三ショー」だった。 斬るのも、斬られるのも「東映剣会」のメンバーや大部屋の俳優たち。彼らもまた、生きていくために、必死で働いているのが、私にはよくわかった。 ある時、ひとりの後輩が「東映剣会」を脱会しなければならなくなった。なぜなら、彼はこのままでは生活が立ち行かないからである。 その送別会で、彼は涙を流して、仲間に謝った。 「すみません、皆さんががんばっていらっしゃるのに、ひとりだけケツ割って…」 ケツを割るというのは、楽な方に逃げるという意味である。結婚したのかもしれない、子供でもできてしまったのか……。大部屋俳優は自分ひとりならがんばれるが、家族を養うとなれば、将来の見通しは立たない。福本さんにもそんな時があったことは、先に書いた。 いままさに、辞めていこうとするその若い大部屋俳優に福本さんはこう言った。 「ケツ割るんやない。生きていくんや。新しい仕事で立派に生きていくことは決して恥ずかしいことやない」と。】
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「日本一の斬られ役」として、時代劇ファンの間では知られた存在である福本清三さん。たぶん、多くの人にとって、「あっ、この人、名前はわからないけど、どこかで見たことある!」という感じなのではないでしょうか。 映画『ラスト・サムライ』でトム・クルーズを警護していた「無口なサムライ」を記憶している人も少なくないはずです。
先日は、『探偵!ナイトスクープ』で時代劇ファンの子供に「斬られて」いましたし、いまや「知る人ぞ知る存在」となった福本さんなのですが、その「俳優」としてのキャリアの大部分は、「その他大勢のうちのひとり」だったのです。 そんななかで、食べていくために「いかにインパクトのある斬られ方をするか?」を追求していた結果誕生したのが、いまの「日本一の斬られ役」福本清三なんですよね。そもそも、いまや有名人の福本さんなのですが、そのもう還暦を過ぎた福本さんのキャリアのほとんどは、「誰にも顧みられることのないその他大勢のうちのひとり」でしかなかったのですから、ここまで「斬られ役」を続けてこられたことそのものが「偉業」なのかもしれません。大スターならともかく、ギャラも安ければ誰も注目してくれない仕事なのに。 まあ、ここに書かれているような「家族の理解」というのは、非常に大きかったのでしょうけど。
そんな福本さんの言葉だからこそ、この「ケツ割るんやない。生きていくんや。新しい仕事で立派に生きていくことは決して恥ずかしいことやない」という言葉には、すごく「伝わってくるもの」があるように僕には感じられます。人は「夢を追うこと」を賞賛し、「夢をあきらめるなんて、情けない……」と蔑みがちなものなのですが、他人に過剰な苦労や負担をかけてまで「夢を追う」人生が、必ずしも「正しい」わけではないんですよね。むしろ、そういう人生のほうが「ケツを割っている」のかもしれません。
「生きていくため」「食べていくため」に大部屋俳優となり、「斬られる技術」を磨き、予想外の人生を送ることになった「日本一の斬られ役」のこの言葉、多くの「夢をあきらめざるをえなかった人たち」にとって、すごく勇気を与えるものではないでしょうか。
つまらない人生のように思えても、「生きていく」っていうのは、それだけでけっこうすごいことなのですよ、きっと。
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