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2007年08月09日(木) ■ |
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ある小さな男の子の「殉教」という「美談」 |
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『極め道』(三浦しをん著・光文社文庫)より。
(三浦さんのエッセイ集の「なんぞ我を見棄て給うや?」という項の一部です) 【私はカトリックの学校に行っていたので、いいかげん宗教にはうんざりというのが個人的な感想だ。あれはかなり奇天烈な世界で、ちょっと頭が狂いそうだった。なにしろ高校の修学旅行が『長崎殉教者を偲ぶ旅』なのだ! 世の中の高校生たちがハワイとは言わぬまでも北海道ぐらいは行く御時世に、なんでそんな辛気臭い旅をせねばならぬ。もちろん自由行動なんてないよ。私服も着ないよ。修道女と同じだから。移動のバスの中でも、聖歌の練習を率先してやろうなんて言い出すやつがいてさ。私はいますぐバスが横転してしまえばいいのにと思った。かなり本気で。 長崎中の教会をまわったのではなかろうか。そして行く先々で聖歌を奉納(?)する。本当に神がいるのなら、こんな破廉恥なことを考えつく輩を生かしておくわけがない。多感なお年頃の少女は、もうおなじみになった憎悪の炎をたぎらせつつ、神の不在を嘆いたのでした。 もちろん「修学」旅行ですから、事前の予習もみっちりなされます。長崎二十六聖人(豊臣政権の弾圧で殉教した)のこととか。なんかすごい小さい男の子とかも殉教したらしい。役人たちは「お菓子をやるから基督(キリスト)教は捨てろ」と彼をかき口説いたのだけど、「天国には白くておいしいお菓子がたくさんあるから、私は転びません」みたいなことを言って、あどけない幼児は殺されていったのでした。いと哀れなり。それはたしかに哀れだと思いますけど、でもまだ十歳になるかならぬかの子供だよ?「お菓子をあげるっていわれても、知らないおじさんについていっちゃだめよ」というレベルと、何か違うのか? と意地の悪い私は思うのでした。それに天国においしいものがあるから殉教するってのは、信仰心から出た行いとは言いがたいものがある。貧しい農民が、自分を慰めるために子供にも言い聞かせていた必死の夢物語だろう、それは。その子はたぶん、信仰心よりも食欲から天国を選んだと思う。たださっきも言ったけど、その状況で何かを選んだ、ということが、強いて言えばその子の唯一の救いなのだ。 それなのにこの「美談」についての感想を求められるのは酷というもの。「誘拐犯は本当にお菓子をエサに子供をさらうんだろうなあ、と思いました」と言ったらやっぱり怒られた。「あなたは命をかけて何かを守り、成し遂げることの尊さを何と考えるのですか」と。救われないのは私だっつうの。トホホ。】
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こんな「高校の修学旅行が『長崎殉教者を偲ぶ旅』だなんて、いったいいつの話なんだ?」と僕は思ったのですが、これ、そんなに昔の話じゃないみたいなのです。今も同じことが行われているかはわからないのですが。 まあ、僕の高校の「修学旅行」も、「東京・京都の有名大学めぐり」でしたので、不毛さでは似たようなものではあるんですけどね。 ちなみに三浦しをんさんは、1976年(昭和51年)生まれで、横浜雙葉中学高等学校から、早稲田大学第一文学部に進まれています。ですから、この「修学旅行」は、横浜雙葉高校で、十数年前に実際に行われていたのです。 それにしても、この学歴だけ並べてみれば「お嬢様!」って感じなんですけど、お嬢様っていうのもいろいろと大変みたいです。
それにしても、この「殉教した少年のエピソード」というのは、僕にとっても「宗教」についていろいろと考えさせられるものでした。 【役人たちは「お菓子をやるから基督(キリスト)教は捨てろ」と彼をかき口説いたのだけど、「天国には白くておいしいお菓子がたくさんあるから、私は転びません」みたいなことを言って、あどけない幼児は殺されていったのでした】 この話、「権力に負けずに幼い子供が信仰を貫いて殉教した」という「美談」として語り継がれているのでしょうが、三浦さんが書かれているように、「信仰」を持たない僕にとっては、ものすごく違和感がある話なのです。 「じゃあ、想像上の『天国』よりもすごいお菓子を目の前に並べられたら、この幼児はあっさり『転んでしまった』のではないか?」と。 実際には、「頭の中のイメージ以上の現物」というのはなかなか無いものなのかもしれませんが、この幼児は「神への信仰心」ではなくて、「物質的な欲望」から、「殉教」を選んだとも考えられます。そりゃあ、現代人の感覚からすれば、「実際にあるかどうかわからない天国の御馳走よりも、いま目の前にある焼肉」なのでしょうが、当時の子供にとっては、「役人がくれるというお菓子」というのは「お菓子でいっぱいの天国」と同じくらいのリアリティしかなかったのかもしれないし。そもそも「死ぬ」と言うことに関して、この幼児がどのくらいの「実感」があったかもわかりません。 要するに、この「殉教」の場合、「純粋な信仰心」というよりは、「損得勘定」のほうが上回っていたわけです。現代人からすれば、そんな教育をした親に対して、「なんでそんなふうに幼い子供まで『洗脳』するんだ!」と憤りたくもなりますが、子供に「信仰心」を植え付けるためには、そういう「ご利益」か「信じないと地獄行き」みたいな「恐怖」のいずれかを利用するしかないのも現実だったのでしょう。 この幼児に対して、役人が、もっとストレートに「信仰を捨てなかったら殺すぞ」と言っていたら、この幼児はどう答えていたのだろう?
しかし、その一方で、この子供が「不幸」だったのか?と問われると、【その状況で何かを選んだ、ということが、強いて言えばその子の唯一の救いなのだ】というのは、確かにそうかもしれないなあ、という気もするのです。このエピソードの場合、本当に「悪い」のは、「子供の希望を利用した宗教」ではなくて、「信仰を理由に弾圧し、改宗を迫り、『殉教』を生む当時の社会情勢や権力者」なんですよね。そんななかで、「信仰を捨てないという選択をした」というのは、確かにすごいことなのではないかなあ、と僕は感じます。逆に、そんな世の中で「お菓子が欲しいから棄教します!」っていう幼児の「余生」が、そんなに幸福に満ち溢れたものになったとも思えないし。 「損得で物事を選べる人生」っていうのはものすごく幸福なのかもしれないけど、「損得しか選択基準がない人生」っていうのは、ものすごく不幸なような気がします。
僕には、この幼児の「殉教」のエピソードそのものよりも、これを「美談」として利用することが「宗教」の罪深さなのではないかな、と感じられてなりません。
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