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2007年05月14日(月)
「無期懲役」という判決の嘘

「裁判官の爆笑お言葉集」(長嶺超輝著・幻冬舎新書)より。

(広島県で小学1年生の女子児童をわいせつ目的で誘拐した末に殺害したとして、殺人の罪などに問われたペルー国籍の男への広島地裁の判決が「残虐な犯行だが、計画性には乏しい」として、「無期懲役」だったことを受けて)

無期懲役=「懲役15年〜40年」という現状

「無期」って、どういう意味でしょう。辞書をひくと「期限がないこと」とあります。そうしたら普通に思い浮かべるのは「ずっと」「永久的に」ということですね。
 刑法にいう無期懲役も、もともと終身刑を想定しているはずです。しかし実際には、10年以上服役した無期懲役囚は、刑法28条により「仮釈放」の対象となり、「改悛(かいしゅん)の状(自分の過ちを悔いあらため、反省する気持ち)」を条件に社会復帰ができます。
 この「改悛の状」の甘さ、あいまいさがしばしば批判されますが、逆に「改悛の状」の意味をせまく解釈すれば、日本でも法律改正なしに終身刑が実現されることになります。現に2000年にも、ある幼女殺害事件で、仙台高裁の泉山禎冶裁判長が無期判決を言い渡したとき、「仮釈放の際は、遺族の意見を聞くように」と付け加えています。
 1998年6月に最高検察庁が出した通達では、死刑事件に準ずるほど悪質なものを「マル特無期事件」と位置づけ、刑務所長などから仮釈放の相談を受けたら、なるべく「不許可」の意見書を出すよう全国の検察庁に求めました。
 ただ、全国の刑務所は軒並み定員超えの「満室状態」で、終身刑の導入どころではないという現実もあります。】

ハイテク駆使、初の“民営”刑務所開所…山口・美祢

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 いまの日本での「無期懲役」というのは、要するに「ちょっと長めで、刑期の上限が定められていないだけの有期刑」でしかないのです。僕は死刑制度に賛成で、基本的には「もっと日本の刑事罰は厳しくて良いのではないか」と考えているのですが、こういう「現実」を知ると、なんだかいっそう悲しくなってしまいます。「死刑」にさえならなければ、とくに若い犯罪者であれば「無期懲役」でも、いつかは出所できるというのは、その犯罪によって「傷つけられた側」からすれば、あまりに軽い量刑であるような気がしてなりません。いくら法廷で「改悛」してみても、失われた人は、もう還ってはこないのだし。
 このペルー国籍の男や山口県の光市母子殺害事件の犯人が「無期懲役」という判決の元に、いつの日か「社会復帰」してくるというのは、なんだかとても理不尽極まりないことだと僕は思います。「人は罪を犯すことがある」というのは理解せざるをえないのだけれども、「死でさえも償いきれない罪」というのはないのでしょうか。そもそも、殺された人は絶対に戻ってこないのに、殺した側には「更正」の機会が与えられるというのは、あまりにも不公平です(ちなみに、光市の事件は、最高裁で差し戻しになり、今月の24日から差し戻し審がはじまるそうです)。殺された人だけではなく、その周囲の人たちも、一生癒えることのない心の傷を背負っていかなければならないというのに……

 しかし、こういう「名目だけの無期懲役」の理由として、「刑務所が満室だから」という現実があるのだとしたら、それは、情けないのだけれども、どうしようもない問題なのだろうな、とも感じます。刑務所を急に造るというのはなかなか難しいことみたいですし。
 最近は、刑務所不足のあまり、「受刑者にとって、より居心地が良い」民営刑務所まで誕生しているという状況です(今のところ、民営刑務所は比較的罪が軽い、初犯の受刑者対象のようですが)。結局のところ、増えすぎた犯罪者たちを養っているのは自分が払った税金なのだ、ということを考えると、なんだかとてもいたたまれない気持ちになってくるのです。あのペルー国籍の男とか、麻原の「生活費」の一部は、僕が負担してやっているのか、と。それはもちろん、微々たる金額ではありますし、「社会の安全保障費」みたいなものだと割り切ればいいのかもしれませんが、それでも、真面目に働いている人たちが「ワーキングプア」になってしまうこの御時世なのに、という不快感は拭い去ることができないのです。
 さすがに「みんな死刑にしてしまえ!」というわけにはいかないでしょうけど、「名目だけの無期懲役」でいいのか?という問題は、もっと議論されてしかるべきだと思います。もちろん、ここで長嶺さんが書かれているような「解釈を変えて、実質的に終身刑とする」という可能性も含めて。