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2007年04月10日(火) ■ |
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「肉食は罪だ!」と主張する人たちの「曖昧な根拠」 |
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「ひとつ、村上さんでやってみるか」(村上春樹著・朝日新聞社)より。
(「世間の人々が村上春樹さんにぶつけた490の質問」とそれに対する村上さんの答えを集めた本の中から)
【質問145 肉食は罪か?
(前置きが長かったので、質問の途中からです) 僕の趣味は読書、筋トレ、ボーっとする。好きな食べ物は、カレー、納豆、ヨーグルト。最近、「肉を1キロ作るために、穀物や豆を16キロも使うのだ。牛や豚を太らせている一方で、飢えで死んでいる人がいる。また家畜を育てるためには広大な土地が必要になるため、環境を壊す。加えて健康にも悪い。人類は肉食をやめるべきだ」というのを読んで考えてしまいました。僕はビーガン(菜食主義者)ではないのですが、あまり肉は食べません。村上さんの意見を聞きたいところです。まとまりのないメールですみません。チャオ。
この質問に対する村上春樹さんの答え
僕も菜食主義者ではありませんが、肉はあまり食べません。だいたい野菜と、たまに魚を食べるくらいです。ただ、肉はそんなに好きではないからあまり食べないというだけです。主張があってのことではありません。 人はこれまでの歴史において、ずっと肉食を続けてきました。だから今急に「肉食は間違っている」というのはちょっと不自然なことではあるまいかと僕は思います。僕もたまになぜかすごくステーキが食べたくなることがあります。そういうときには迷わずステーキハウスに行って、大きなステーキをもりもり食べます。身体がきっとそれを求めているんですね。とくに罪悪感は感じません。牛さんに悪いなとちらっとは思いますが。 僕は正直に言いまして、理屈いっぺんとうで行動する人と、それをそのままプロパガンダみたいに他人に押し付ける人があまり好きではありません。それにそういう理屈って、単なる受け売りのことが多いんです。「肉を1キロ作るために、穀物や豆を16キロも使うのだ」と誰かが言ったとして、じゃあその根拠を示してくれと言うと、おおかたの場合、誰も示せないんですよね。「いや、どこかで読んだ」とか「そういうことを聞いた」とか、その程度のものなんです。僕はそういうことを何度も経験しました。「具体的な例証を示してくれ」と突っ込んでいくと、だいたい相手は怒りはじめます。「お前は環境破壊を認めるのか」とかね。その手の人って60年代の学園紛争時代にもたくさんいましたし、今でもやはりけっこういます。いつの時代でも同じようなものかもしれませんね。 むずかしい世の中ですよね。たまにステーキが食べたくなったら食べるくらいはいいと思うんですが。】
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僕は主義主張以前に「肉が食べたくてどうしようもないときがけっこう多い人間」なので、いきなり「菜食にしろ」と言われたりしたら路頭に迷ってしまいそうなのです。確かに、この手の主張をする人は僕の周りにもけっこういますけど。これまで僕は、こういう話を聞くたびに、罪の意識にさいなまれつつも、「でも、やっぱり週末に焼肉とビールって、この上ない幸せなんだよね……牛さんと環境さんごめんなさい」という感じだったのですけど、この村上さんの答えを読んで、少し救われたような気がしました。いや、「だから肉ばっかり食べてもいい」とか「環境のことなんか考えなくてもいい」ってわけじゃありませんが。それはそれで、現代に生きる人間としては、避けて通れない問題だとは思うしね。
「食」っていうのは、人間にとって非常に重要なことです。それこそ「生きること」とこれほど密接に関連している行為というのは、他には無いくらいに。でも、「肉を1キロ作るために、穀物や豆を16キロも使うのだ」と訳知り顔で講釈する人の多くは、他人の「食生活」を「受け売りのどこで聞いたかわからないような知識」を根拠に変えようとしているのです。しかも「具体的な例証(あるいは、何の本で読んだか、誰が言っていたのか)」を示すことを要求されると、今度は逆ギレしてしまう。ほんと、こういう人って多いですよね。もし本気で誰かを説得しようとするならば、そんないいかげんな姿勢ではダメなことはわかりきっているはずなのに。結局は、「環境に優しい自分」をアピールしたいだけの人もたくさんいそうです。 「あるある」とかを観てすぐ影響されてしまう人の数を考えると、他人が主張している「正しいこと」を疑ってみたり、自分で調べて確認してみようとする人っていうのは、本当に「少数派」なのでしょうね。
ただ、分厚い資料とかを常に持ち歩いて、誰かに会うたびにキッチリと「肉食の罪」を講義してくれるような人ばかりだと、それはそれで生きづらい世の中だという気もしますので、まあ、実生活においては「とりあえず聞き流して感心しておく」というくらいが「正解」なのかな、とも思いますけど。
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