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2007年03月12日(月)
「帝王」カラヤンの「指揮で一番大事なこと」

「阿川佐和子の会えば道づれ〜この人に会いたい5」(文春文庫)より。

(阿川佐和子さんと故・岩城宏之さんの対談の一部です。岩城さんはNHK交響楽団終身正指揮者にもなられた、日本を代表する指揮者です(2006年6月に逝去されています))

【阿川佐和子:指揮者に必要な資質っていうと、何ですか?

岩城宏之:カリスマ性っていうか、オーケストラの前に立った途端、ビーンと電波が走らなきゃだめですね。指揮っていうのは教えることはできない、教わることもできない。結局、なれるやつがなれるだけとしか言えない。とにかく何ものかをみんなが感じるか感じないかだけなんですよ。

阿川:ヒエー。

岩城:でもね、指揮者、演奏家というのは、ヤキモチ焼きの権化なんですよ、作曲家っていうのは「あいつの曲なんかダメだ」とか言いながら、お互いの作家生活は認めてるんですけどね。

阿川:岩城さんもヤキモチ焼き?

岩城:うん。人の音楽会聴くと、舞台に駆け上がって殴り倒して、代わりに指揮したくなる(笑)。

阿川:アハハハハ。正直でカッコいーい。たとえば誰?

岩城:小澤征爾、メータ、バレンボイムは殴り倒して代わりたいとは思わない。「ふーん、なるほどね。ああいうことやるのか」と、認めるな。

阿川:認めるのは三人だけですか?

岩城:いや、やっぱりカラヤンとバーンスタインはどうしようもなくスゴいと思う。あの二人は別格だったな。

阿川:二人のスゴさはどう違いますか。

岩城:カラヤンは完全につくった美というか。自分でも「指揮者は自分を神格化させなきゃいかん」と言ってたけど、それをホントに実行したと思うな。パジャマに着替えたとき、あの人はどんな顔してたかと思うぐらい。

阿川:実物に会われても、カリスマ性がありましたか?

岩城:すごかったですね。カラヤンがやったことは超民主的な独裁。誰も独裁されてると気がつかないんだけど、完全にやってる。僕は二十二、三歳でN響の指揮者見習いのとき、カラヤンにいきなり「レッスンするから、好きに指揮してみろ」ってN響の前に引き出されて。カラヤンがそこに座ってるところで『エロイカ』をやったの。

阿川:ベートーベンの。何て言われました?

岩城:「もっと力を抜いて」とか「俺はもう二、三十年やってるから、これができるんだ」とか。カラヤンはすぐ自慢するのよね(笑)。

阿川:かわいいとこあるのね(笑)。

岩城:1時間くらいレッスンされて、あとで部屋に呼ばれて。「君はなかなかよい運動神経と表現力を持っているからオーケストラはちゃんと君の言う通りに動く。ただ、一つだけ気をつけろ。君のワーッと指揮するところから、みんな思わずギーッと汚い音を出してる」って。

阿川:ほお。

岩城:それから、「指揮で一番大事なことはキャリーすることで、ドライブすることじゃない」と。

阿川:どういう意味ですか?

岩城:最初は僕もわかんなかった。だんだんわかってきたのは、たとえば馬に乗ったとき、ドライブは手綱を引き締めてあっちに行けこっちに行けと完全に言うことを聞かせて動かす。馬はその通りに動くけど面白くない。キャリーはどこへでも好きなところへ行きなって言って、馬が人を乗っかってるのを忘れちゃって好きにしてるけど、実はそれを完全にコントロールしてる。その違いじゃないかと。

阿川:なるほど。

岩城:王様の存在を忘れさせて、自発的に嬉しく演奏させてるんだと思う、ところが全部言うことを聞かしてる……それがカラヤンのやり方。僕もこの頃やっと少しわかるようになってきたと思う。

阿川:キャリーが。

岩城:でも、カラヤンは正直だったですね。クラシック界の帝王と言われていたけれど、あるとき、彼と親しかったN響の有馬さんに言ったそうですよ。「俺は、世間が俺がどれだけ政治的に立ち回って世界の音楽界を握ってると言っているか知ってる。それはある程度ホントだ。でも、俺はやっぱり(右腕を指して)これだけなんだ」と。

阿川:腕だけ?

岩城:その腕でいい音楽をやって、お客をつかみたいだけだと。結局、それで人が集まって、権力が湧いちゃうんだけどね。

阿川:腕一本で勝負してたんですね。

岩城:で、とっても小っちゃな話になるけど、僕も我が小っちゃな国ではちょっとだけ偉いでしょ。N響とかいくつかのオーケストラを持ってて、芸術院の会員になったとか。さぞやいろんな政治力やなんかを使ったんだろうって思ってる人はたくさんいますよ。でも、僕はやっぱり指揮をうまくやって、お客さんに認めてもらおうとしか思ってないの。だから、カラヤンが言ったことも本音だと思う。】

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 クラシック界の「帝王」と呼ばれた男、ベルリン・フィルハーモニーの4代目の首席指揮者・ヘルベルト・フォン・カラヤンについての、岩城宏之さんの記憶。クラシック音楽にそんなに詳しくない僕ですら、カラヤンの名前は知っていますし、おそらく、日本でも小澤征爾さんと並んで、もっともよく名前を知られている指揮者なのではないでしょうか。
 カラヤンは、その音楽的な才能を賞賛されていたのと同時に、その「政治力」を語られることも多い指揮者でした。中川右介さんが書かれた『カラヤンとフィルトヴェングラー』という本のなかには、【カラヤンは世界のクラシック音楽界の主要ポストを独占し、人事権を持ち、利権を握り、世俗的・実質的な意味で音楽界に君臨】【「有能なビジネスマン」とよく評された】と書かれています。
 ここで岩城さんが紹介されている「帝王」カラヤンの実像は、「クラシック音楽界のドン」としてていうより、「ちょっと自慢したがりなひとりの指揮者」としてのものです。これを読んでいると、カラヤンは指揮者に必要な条件として、「運動神経と表現力」を重視していたのだな、ということがよくわかります。「運動神経」なんて、音楽とはあまり結びつかないもののような気もしなくはないのですけど。
 そして、カラヤンは岩城さんに「キャリーとドライブ」の話をしています。これは、指揮の世界に限らず、人を動かすときの真理として応用できそうな話です。もっとも、言われてみればわかったような気分にはなるのですが、実際にどうすれば「キャリー」できるのかカラヤンは岩城さんに語ってはいませんし、たぶんそれは言葉で教えられるようなものでもないのでしょう。それができる人が「カリスマ」ということになるのでしょうね。

 カラヤンが【「俺は、世間が俺がどれだけ政治的に立ち回って世界の音楽界を握ってると言っているか知ってる。それはある程度ホントだ。でも、俺はやっぱり(右腕を指して)これだけなんだ」】と言ったというエピソードには「帝王」の素顔が垣間見えて、なかなか興味深いものがあります。「政治力」ばかりが強調されるけれど、本人にとってはやはり、「素晴らしい指揮をすることこそが全ての源」だったのです。それをどういうふうに「運用」するかは、人それぞれなのでしょうけど。

 しかし、カラヤンもああ見えて、世間の評判を彼なりに気にしていたというのは、ちょっと微笑ましいエピソードではありますよね。